強権政治が好きな人たちの理想郷

政治家でも一般市民でも,強権的で人権が制限されていて,戦争がやりやすい国が好き,というか,日本をそういう風な国にしたい(あるいは「戻したい」)人は少なくないように感じます.

そういう人たちは概して,共産主義とか社会主義が嫌いなのは面白いところです.現在ある共産主義とか社会主義を看板にしている国の本質はそういう風な国と同じにしか見えないんですが😓

しかし,そういう人たちが好きでしょうがないはずな国が実在していたことが現在世界中の人々にまざまざと見せつけられているところです.

強権的で人権が制限されて,独裁者の一存で戦争が始められて,しかも社会主義でも共産主義でもない国.ああ恐ろしや.

1度サーバーをガチャンと切り替えてみます

LAN内で,新しいサーバーの準備をしています.デフォルトのmail transfer agent (MTA)がsendmailからPostfixに変わったとか,httpdはたぶん動くだろうとか解りましたが,実際に外からアクセスできるようにしてみないと,動くかどうか解りません.

2022年4月6日(水)の午前中に切り替えを予定しています.あんまりひどかったら元に戻します.

以後しばらくは当サイトの運用が不安定になるかもしれませんので,ご承知ください.

安定しましたら,またお知らせします.

Facebookに次から次へと現れる詐欺広告は何を目的にしているのだろう

Facebookがなかなか好きになれない理由の1つが次から次へと現れる詐欺(的)広告です.最近は主に2つの傾向があって,1つは高級バッグです.もう一つはApple製品です.

高級バッグに関しては,有名デパートや大手免税店の名前を出して,そこが閉店するので在庫を安売りするような文脈です.

Apple製品に関しては,ありえない低価格で紹介して,購入の手順についてはメッセージを送り受けして知らせるような形をとっているようです.

どちらも,誰が見ても詐欺(的)広告に見え,ひっかかる人は多くないと思いますが,何を目的にしているのかがよく解りません.ネット検索してもその辺の事情について書かれたものは見つかりません.

Facebookに広告を出しているから,それなりの投資はしているわけで,それが回収できるから次から次へと同じ手口の広告が出てくるのでしょう.

一番リスクが低い,クレジットカードの情報を集めて,それを転売する場合,ネット検索したところ,クレジットカードの情報は1件あたり10〜20USDくらいだそうですので,あんまりいい商売ではないかも知れません.

利益は大きくなりますが,その代わりリスクも大きくなるケースとして,手に入れたクレジットカードで情報を自分たちのグループで使って,数万〜数十万円程度のものを購入して転売して現金化することも考えられます.しかし,ニュースなどで見る限り,こういう詐欺は分業化しているので,全部自分たちでやる可能性は低いかもしれません.

裏社会に詳しいジャーナリストによる体験(潜入)レポートが期待されます.

3月20日

1995年

1995年3月20日にオウムの地下鉄サリン事件がありました.多くの方が亡くなり,今なお後遺症で苦しんでいる方もいるせい惨な事件です.

前述のようにこの年度は「江戸詰」だったのでした.被害に遭われた方の多くと同じ霞ヶ関の一角に通っていましたが,あまりまともでない役人😅だったのでこの事件が起きた午前8時頃は,まだ家を出たかどうかのタイミングです.また,通勤経路も少し変わっていて,銀座線を使っていましたので,仮に何かの事情でこの時間帯に霞ヶ関近くに来ていたとしても直接被害に合うことはなかったと思います.

そして,そもそもまさにこの事件の起きた時刻にはアデレードにいたのでした.ですから,間接的な被害(交通や職場,周辺の混乱)にも合いませんでした.

当時,出先でインターネットが利用できるような時代ではなかったので,たぶんこの事件については,オーストラリアのテレビニュースで知ったと思います.

この日は観光をしている写真が残っていないので,業務だったと思います(といっても,業務関連の研究機関を訪れ,見学とディスカッションをするというゆるゆるの業務でした).

事件の犠牲になった方々のご冥福を祈り,被害合われた方々へお見舞いを申し上げたいと思います.

1996年

翌年の1996年3月20日は,やはり写真がありませんが,たぶん,シドニー郊外で借りる家が決まった頃だと思います.

1997年

さらに翌年の1997年3月20日は,たぶんシドニー郊外の自宅で過ごしていたと思います.3月いっぱい長男の通う小学校は夏休みで,前の週はブルーマウンテンズに2泊3日くらいで行ってきました.その頃,アナログ写真は撮らず,8mmビデオ撮影が多く,PowerMacに読み込ませていました.といっても当時のキャプチャーは480×360とかの低解像でした.また動画はディスク容量も食うので,短いビデオクリップやスティル写真を “写真” として残した程度です.スティル写真は写真としては鑑賞に堪えない画質でしたが,当時のWebに載せるには十分でしたし,現像・プリントが要らないのでなんといっても手軽で迅速,経済的でした.

Clarenceにて (1997/3/15)

ところが,この撮影の直後,蒸気機関車がトンネルを抜けた後,8mmビデオカメラが故障してしまい,3月20日を含む1か月間ほどビデオカメラが使えなくなりました.旅行から帰ってからしばらくはあきらめてアナログ写真を撮っていました.

虎ノ門駅を利用していました.
今思えば,業務だからこそ写真を撮っておくべきだったと思いますが,そんなに公的な訪問で,広報担当者でもない限り写真をパチパチ撮るような時代ではなかったようにも思います.
有志たちが管理運営している,歴史的な蒸気機関車.
蒸気機関車は,煙も出しますが,細かい石炭の粉をまき散らしながら走り,座席も石炭の粉だらけでした.たぶん石炭の粉塵が8mmビデオカメラのメカに入り込んだのだと思います.

3月17日

1996年のこの頃は,残暑の厳しい中,シドニー郊外で相変わらず家探しをしていたと思います.

その1年前の1995年3月17日は,ご褒美😓のオーストラリア出張中でしたが,キャンベラでの予定を終え,アデレードへの移動日でした.取れた便が夕方だったので,昼間は暑い中,テレビ塔やバーレーグリフィン湖に行ったりして過ごしていたようです.

山の上に建つテレビ塔.塔自体はそれほど高くないけれどサービスエリアはかなり広いと思われる.
バーレーグリフィン湖の湖畔にて.通りすがりのサイクリストが撮ってくれました.

で,昼下がりに空港に行き,レンタカーを返して,アデレード行きのジェット機に乗りました.B737でしょうか.今は亡きAnsett Australiaです.

アデレードに夕方着きましたが,荷物が出てきませんでした.この時点で公私合わせても国外旅行は4回目だったのですが,初めてのできごとでした.というか,今日まで海外旅行は都合20回,国際線搭乗は往復だから少なくとも40回ほど,国内外での国内線利用も数十回していますが,荷物が出てこなかったのはこのときだけです.

荷物を待つ客が自分以外誰もいなくなったので,少し焦ってLost Baggageの係のところに行ったところ,どこに泊まるか聞かれました.しかし,その時点でどこに泊まるか決まっていなかったのです.

このときの出張は1人だし,ある程度勝手を知っているオーストラリアだったので,宿の予約はせずに来たのでした.

係員にまずホテルを決めて下さいといわれ,ホテルの予約のコーナーに行きました.たぶん,ホテルの写真と料金の範囲が書かれたパネルが並んで,予約専用の無料の電話機が置いてあるようなところだったと思います.なんか,このときはご褒美と言うこともあるし,シドニーとキャンベラで節約できたので少し高めのホテルを取るつもりでいました.

予約コーナーに着く前にホテルの大きな看板がいくつかあり,そのひとつが気に入ったのでそこに決めました.場所もNorth Terraceなので,抜群のロケーションです.ホテル名が思い出せません.支払いはトラベラーズチェックだったようで,クレジットカード使用の控えも書いてありません😓

無事予約を取って,再び係員のところに行って,荷物のタグを見せてホテル名だけ告げたと記憶しています.

ホテルへはたぶんタクシーで行ったと思います.アデレード空港は,オーストラリアの大都市の中でも最も公共交通の便が悪いです(たぶん今日でも).いや,便がいいのはシドニーとブリスベーンだけ,というのが正しいかもしれません.

ホテルにチェックインして,腹も減ったのですが,食事に出かけている間に荷物が来たらめんどうだなと思って,しばらく待っていました.しかし,20時頃になってもこないので,そうだ,近くにマクドがあるということで,ホテルから5分くらいのマクドでテイクアウトして,たぶん20分かからずに部屋に戻ったら,なんとスーツケースが部屋の中にありました.いてもいなくても部屋に届けてくれるようです.高級ホテルに泊まったことがない,というかlost baggageなんか経験したことないので知りませんでした😓

こんなことだったらもっと早くに出かけてゆっくり食事をしてくるんだったと思いました.

ということで,3月17日は “Lost Baggage Anniversary” です.

アデレードのホテル (1995年)

思い出しました.InterContinentalです.裏付ける資料もありました.Google MapsやStreet Viewで確認しますと,現在も同じ場所にホテルがありますが,名前が “Oaks Adelaide” と変わっています.また,現在のInterContinental Adelaideは近くの別の場所にあり,見るからに高そうです😓

また,2006年の出張もこのあたりのホテルに泊まったのですが,何というホテルか思い出せません.資料を探してみます.

2002年に経営破綻.
徒歩圏内に,博物館,美術館や公園がある.
オーストラリアでは, “Take Away”.
当然経営も変わっているでしょう.