BitCoinよさようなら

結局8年くらいでしょうか.第2のブームとかで高騰したときに始めました.BitFlyerです.投入したのは最大でも15万円くらいまでだったと思います.

とにかくピークで買って,すぐにブームが下火になって半値くらいまで下がりました.それでもなんだかんだ売り買いしたり,最終的には塩漬けにしました.そうしたらここ数年また活況になり,総合的には数万円の儲け😓 で終わりました.

去年でしたか,もうやめようかと思ったのですが,BitFlyerの残高をゼロにするのに失敗して解約できませんでした.そこでまた2万円ほどつぎ込んで送金手数料+αになるのを待って,昨日きれいに売却して日本円もきれいに送金しました.スーパーの寿司3食分くらいの利益にはなりました.

“実体” との結びつきのない通貨というのは本当に大口の取引をする人たちの意のままで,小口投資家はその大波小波に乗れるかどうか,完全に運だけと思います.

古いものの処分中に手が止まる

ありがちですね.写真や自分で書いたメモ・ノート.

一昨日に処分を留保して置いた書類の処理をしました.ほとんど全てドキュメントスキャナーでスキャン済なのですが,年数が経たないレシートやその他の書類を箱に貯めていてその箱の深さ15cmを超えて書類が上に積もっているので処分をしました.たぶん,7〜8年分あります.

例えば保険会社の「ご提案」の書類などはページ毎に氏名や年齢が入っているので,シュレッダーにかけます.シュレッダーは長年手動のものを使っていましたが,7〜8年前にコクヨの電動式を買い便利に使っています.圧倒的に楽ですね.

その中で今回は,大学の後輩が亡くなったという奥方からの葉書,電気製品のレシートの原本などは保存することにして,他は個人情報やそれに関連した情報が印刷したものはシュレッダーにかけ,その他は雑紙(ざつがみ)として資源ゴミに出すように仕分けしました.

廃棄の決断ができないのは写真を撮りました.そのうちの2枚が次の写真です.

左の何とかクリニックは,わが家からぎりぎり徒歩圏です.たいてい自転車で行きましたが.初診は十数年前だったと思います.今では体のあちこちにできたり消えたりしていますが,胸のあたりに原因不明の赤い発疹ができたのを見てもらったのが最初だったと思います.

このあたりに皮フ科クリニックは多くなくてどこも混んでいるので試しに行ってみた感じです.ここは話には聞いていましたが,混むことはまずないのです😓 それでも根強いファンはいて,悪い評判は聞いたことがありませんでした.

新型コロナワクチン接種も2回くらいここで受けました.

3年前に胃の内視鏡検査を受けたのが最後だったと思います.その時点で近々閉院するという話は聞いていました.それから1年しないうちに閉院しました.

かたくなに院内処方を続けていましたが,たぶん閉院する事を見込んでいて,処方箋を発行するシステムなどの導入をしなかったのだと思います.

また,ケーブルカーの切符は今年3月の筑波山登山の時のものです.こちらも話せば長くなります.

妻の友人Vさんから今年の2月に筑波山に登りたいとのメールが来て,行ってきました.

Vさんは旦那さんがMelbourne大学の研究者か技術者で1990年代後半に何度か出張でつくば市内の研究機関に家族を連れて来ていました.知り合ったきっかけは,銀行で勝手が分からない様子のVさんに妻が声をかけたことらしいです.

それから時々日本に来ると家族同士で公園に行ったり食事をしたりしていました.

また,わが家の長男が高校生の時に一人でオーストラリアを旅行したいというので,Melbourne滞在の時は面倒を見てもらいました.それもなかなか曰く付きで,長男がMelbourneにいる期間とちょうどVさんが第三子を出産する予定と重なり,さすがにVさんの家には泊められないということで,代わりに近所の友人宅を紹介してもらい,そちらに1週間近く泊めてもらったのです.

今回は何年かぶりだったのですが,Vさんから連絡があり,Vさんのお姉さんと2人で(こちらは妻と私)こちらに来て筑波山に登りたいというので引き受けました.

最初は往復歩いて登山するという話でしたが,現地についてケーブルカーで上り,下りるときも結局ケーブルカーで下ることになりました.

私自身,末娘の幼稚園の遠足に付き添って以来ほぼ四半世紀ぶりの筑波山登山でした.末娘の時も幼稚園の年少だったので,上りはケーブルカー,下りはロープウェイでした.

SNSにまつわる苦悩

SNSは基本的に楽しいです.東日本大震災の前の年からTwitterを始めました.東日本大震災の時には当時都内で暮らしていた長男とTwitterだけが何とか連絡可能で助かりました.

Twitterを始めた頃は主にアマチュア無線家の人たちと多くつながり,その中の何人かとは今もSNSで交流を続けていますし,実際にお会いした方も何人かいます.

しかし,やはり人それぞれいろいろな主義主張をもっていて,それこそアマチュア無線をどう考えるかとか,政治とか生きていく上の信条とかの考え方の違いで離れていった人も少なくないです.SNSだけの付き合いであれば,あんまり考え方が違う人はフォローを外したりブロックすれば済むことです.ただ,SNSだけでなくアマチュア無線という趣味でつながり,実際にお会いしたり無線で交信した人たちで考えが違うとなかなか簡単にブロックはできないです.

長年SNSをやってきてこれはだめだと思う人は,まずネトウヨです.ネトウヨがどういうものかは衆知のことだと思いますが,一言で言えば自己中な人です.

アマチュア無線家にはネトウヨ的な人が残念ながら少なくないのです.コンテストという決められたルール・時間内で交信数を競い合う,また珍しい国や地域との交信を競うというのがアマチュア無線の楽しみ方の有力なサブカテゴリーで,そうした競い合う分野に熱心な人にはネトウヨ的な性行を持つ人が少なくないように思います.もちろん広い視野のちゃんとした人も少なからずいます(と書いておかないとまずい😓).

自己中な人は,たいてい新自由主義経済,極右的政治志向,排外主義,自己責任論を包含しています.

そういう人たちは最終的にはブロックしてきたのですが,それまでの交流があればあるほど,最終的な決断をするのに迷い,その間苦々しい思いが続くわけです.

実際ブロックしてしまえば安堵するばかりなので,結果論的には早くブロックしてしまえばよい訳ですが,なかなかそう行かないのが人間だなと思います😓 それでもそうした経験を生かし,アマチュア無線家同士であっても会ったことがない人は早めにブロックするようにしています.

旧Twitterが前のトランプ政権の時にアメリカではそのトランプのアカウントを凍結したのは良いけれど,日本のTwitterはあろうことか安倍政権を批判するアカウントを凍結し始め,これはおしまいだと思い離れました.第二次トランプ政権になりもはや戻るつもりはありません.ただ乗っ取りやなりすましされるのは嫌なのでアカウントは2段階認証のまま残してあります.

旧Twitterを離れ他のSNSでしばらく平穏な日々を過ごしてきましたが,今度はアマチュア無線でないつながりの人との関係で苦渋の日々を過ごしています.詳細は,書けるようになったら書きます.

「新しい戦前」

タモリが2022年末に徹子の部屋に出演し,2023年は「新しい戦前になる」と発言して話題になりました.それから2年半経ちました.

自民党内の軍備を増強したい(=戦争したい)人たちは昔からいたわけで,一貫して防衛費は増え続けています.ただタモリの発言の当時は何か目だった大きな動きがあるとは思っていませんでした.

ところが,今年の参院選で極右ポピュリズム政党参政党が躍進し,各種世論調査による支持率も野党でトップになる状況になっています.

過去の戦争,特に第二次世界大戦を振り返るのにいろいろな見方がありますが,貧富の差が拡大 → ポピュリズム勢力の台頭 → 戦争に突入という順をたどったという捉え方があります.

それに照らすと今の日本は第2段階に入ってきていると言えます.所得格差の拡大についてはジニ係数がG7のうちでアメリカ,イギリスに次いで日本は高い値になっています.高額所得者や大企業に課税強化し,一般の労働者の労働環境,実質所得を改善していかないと後戻りできなくなるでしょう.

Prawn Chips

生活の中のできごとやSNSの投稿を見て昔のことを思い出すことがしばしばあります.特にオーストラリアのことが多いです.

この大手スーパーのプライベートブランド商品,本当は買うつもりはなかったのです.このシリーズ中の揚げせんべいが気に入っていて先日炎天下買いに行ったのですが,その商品だけ売り切れていました.仕方ないので適当に選んだのがこのえびチップスです.

大手スーパーのプライベートブランド商品「エビチップス」

意図しないで買ったわけですが,これはオーストラリア時代中華レストランでテイクアウェイしたprawn chipsを思い出させます.

オーストラリアに赴任していた間,通常食事は近所のスーパーで惣菜や米を買い普通に調理していたわけですが,たまに中華レストランからテイクアウェイをしました.

テイクアウェイはどこのレストランでもやっていました.利用したのはピザ,タイ料理,そして中華で,普通の食事になるので中華は一番多かったです.それも最寄りの駅前にある中華レストランは徒歩で行けるので一番利用回数が多かったと思います

電話をかけて注文して,料金を聞いて,頃合いを見て徒歩か車で出かけました.

あるとき前の客が受け取るのを見ていて香ばしい紙袋に入ったのを店主が “prawn chips” といっていたので,次の時に頼んでみることにしました.

その次の機会に実際に頼みましたが,紙袋に入った大きめなエビ風味のせんべいです.オーストラリアではシドニー以外でも “prawn chips” でしたが,世界的には “prawn cracker” と呼んでいるようです.

油で揚げたてのものを紙袋に入れてくれるので紙袋は油でベタベタになります.それでも家に帰ったくらいに食べてもパリパリとおいしい食感です.

たぶん,2000年にアデレードを訪れたときも中華レストランで2回ほど買っているはずです

そんな,後にしてみれば思い出深い食品なのに写真が一切残っていません.ついでに言えばオーストラリア時代にテイクアウェイした料理はひとつも写真がありません.

大手スーパーのプライベートブランド商品のエビチップスも,そこそこおいしく,そんな思い出に浸りながら食べました.

しばしば当BLOG内で言及していますが,筆者は仕事の関係で1996年3月から1997年6月までの15か月間家族を連れてシドニーに赴任していました.
日本では米語由来の “テイクアウト” が一般的ですが,オーストラリアでは “Take away” = “テイクアウェイ” です.
と,この記事を書いているときには思いましたが,あとで思い返してみたら,たしかに最初に prawn chips を購入したのは駅前の店ですが,利用回数が多かったのはPymble駅前の “Very Good Restaurant” でした.ちなみにどちらのレストランも2025年9月現在存在していません.
レストラン名は “LIM’s Restaurant” と記憶しているので,ここだと思います.
油がギトギトでない分ずっとましかも😓