遅かりし由良之助

仮名手本忠臣蔵で大星由良之助が主君塩冶 判官の切腹に間に合わなかったときを描写する言葉でだれかの台詞というわけではないそうです.

さて,アマチュア無線関係のお友だちが,数十本ものminiDVテープをデジタイズしたというBLOG記事を公開されて,自分も前からいつかはやらなきゃと思っていたので着手しました.

1998〜2008年頃までに撮影したminiDVテープ.全部で17本.奥は8mmビデオテープで30本くらいあります.”SONY”のロゴの機材は8mmビデオ録再専用(TVチューナーなし)デッキです.これも最近使用してないので動作するか不明😅

まずは接続ケーブル類を探してみましたが,使えそうなものが一つもありません.それより手持ちのminiDVカメラが動くのか確認が先だろうと試したところ,だめでした.

miniDVカメラ

バッテリーの充電はできました.テープの装着・イジェクトもできます.しかし,再生ボタン,早送り・巻き戻しボタンのどれを押してもささやかな動作音がした後「保護回路が働きました」と出て,使えない状態です.

再生・早送り・巻き戻しのどの操作をしても「保護回路が働きました」となって,以後操作不能になる.

しばらく,1日に何回か試して見ることにしますが,復活するのは期待薄でしょう.

わが家のホームビデオ史は,1987年頃にC社の8mmビデオカメラを買ったのが始まりです.その後少なくとも一度は8mmビデオを買い替えて,1998年にはminiDVカメラを使い出しました.最終的には2008年まで使ったので,その間にたぶん一度は買い替えをしています.

2008年以降は,iPod touchになり,後にiPhoneになってます.

もともとデジタルなので,デジタイズは誤りですね.転送した,かな.

6月21日

何年,何十年前のこの日に何があったか思い出すのも楽しいものです(辛い,悲しい日のこともありますが).

最近そんなBLOGの機能はないかと探したら, “On This Day” というプラグインがあるのでインストールしてみました.

あいにくと当BLOGで6月21日の記事は, “logデータの突き合わせプログラムを書けという自分への指令(2) (2020年)” しかないようです.これは完全に自分だけに宛てた備忘録でしたが,その後無事に完成してlogデータの抜け落ちは可能な限りなくしたと記憶しています.

6月21日といえば夏至です.当BLOG記事にはないですが,夏至で思い出すのは,2001年のオスロ出張です.

当時のカレンダーとmacOSアプリ “写真” で再確認すると,2001年6月16日(土)に成田を発ち,フランクフルト経由でオスロに着き,22日(金)にオスロを発ってやはりフランクフルト経由で成田に23日(土)に帰ってきました.

泊まったムンクホテルは今もあるようです(Google StreetViewで確認できる).一階がレストランとガソリンスタンドという何かあったら助からない構造です.

冬の日が極端に短い北欧の人々は夏至を特別な思いで迎えるように感じました.午後10時過ぎまで明るくて,朝は3時頃には明るくなったように記憶しています.

オスロの印象としては,ほとんどの人が英語を高い水準で話すので,意思疎通に困ることはなかったことでした.

時間的に余裕ができてムンクの叫びを見にムンク美術館に行きました.オスロ国立美術館のほうが有名なようですが下調べしないでたまたまムンク美術館の方に行きました.後にムンク美術館に白昼強盗が押し入り, “叫び” を持ち去ったとの大ニュースが入り,より記憶が鮮明化されました.

ムンク美術館(2001年6月19日)

晴れると日差しはそれなりに強かったですが,時々雨雲が来て雨が降ると寒いくらいでした.

雨が降って寒かった2001年6月21日.博物館行きのフェリーの窓越しのオスロの街

もともと写真をあまり撮らないほうでしたが,この頃はデジタルカメラを日常的に使うようになり,初めての国際学術会議参加の出張だったので一週間で600枚ほどの写真を取りました.

#Oslo #オスロ #夏至

アマチュア無線の交信データ.
たぶん英語圏の国で就業するのも問題ないレベル.
2004年8月.
コンパクトデジタルカメラ=コンデジ.

Mr / Mrs / Dr などに “.” (ドット)を付けないのが普通

1996〜1997年にシドニーで暮らしたときに既に気がついていましたが,あちらではMr. Abc や Dr. Xyz としないで,Mr Abc, Dr Xyz とするのが普通でした.

今更ながらネット検索したら,Q&Aを中心に多数の記事が見つかって,今日ほとんどの英語圏で “.” を付ける方式は正しくはあるけど,古臭く受け取られるそうです.

というか,会社や役所から来る郵便の宛名はたいていMrもついてなくて,いきなり氏名が書いてあるのが多かったです.

というわけで帰国して以後定年まで名刺の英語面に “.” を付けませんでしたが,同僚でそうする人はいませんでした.

円安ではなくて所得格差

CBC制作の午後のワイドショーをときどき見ています.

今日は行動制限が解除され,海外からも観光客が多く来ているというニュースをやっていました.オーストラリア人観光客に聞いたら「(オーストラリアだと外食は)一食2,500円くらいはするのに日本だと3食たべられる」といっていました.それを受けて,海外観光客増加の要因の一つに「円安」を挙げていました.

しかし,このオーストラリア人のインタビューを受けて「円安」というのは浅はかにもほどがあります.この記事を執筆している2023年5月2日(火) 14:18現在1AUD=92JPYです.これはここ十年で見て少し高め(円安)ではありますが,1回分の食費で3回も食事ができるほどの高さではありません.

筆者がシドニーにいたころ,わずか一年の間でしたが,1AUDは85JPY(1996年3月)から100JPY(1997年6月)までほとんど単調に増加しました.しかし国内の物価に大きな変化はありませんでした.また,当時のオーストラリア国内の物価は日本と比較して少し安いくらいでした(日用品,食料品や外食).

その後26年経ってもオーストラリアドルの水準は日本円に対して大きく増減していません.ところが食費が3倍と言うことは物価が上がったということでしょう.オーストラリア国内にも格差はあると思いますが,賃金水準もそれに近いくらい上がっているということになります.

そう言えば,少し前NHKで,海外で短期間働いて稼ぐ日本人の若者たちについてのレポートがありました.いくつかの例のうちの一つはオーストラリアのサーフィンで有名なビーチ(ゴールドコーストではなかったと思う)近くの農園でパートタイマーとして働いて,勤務時間外はサーフィンを楽しむというものでした.パートとは言え日本国内の正規労働よりも賃金水準が高くて,しかも時間外労働は一切ないのが魅力ということでした.

ですから,冒頭のニュースのインタビューを受けた解説は,オーストラリアなどからの海外観光客の増加は「円安」ではなくて「所得格差(物価の格差)」とすべきでした

1年3か月で17%円安(豪ドル高)になったわけです.
欧米の先進国からの観光客についても,円安より所得格差の方が大きな要因と思います.

Railway Story オーストラリア編

数日前,いつも朝は早いのですが,さらに早く目覚めたので時間つぶしにビデオを見ました.このときはどういうわけか気が向いて録りだめてあった(=録るには録ったけど見る気がしなかった) “G’Dayオーストラリア” の現在までの放送分全部と,Railway Storyのオーストラリア編を見ました.

Railway StoryはWOWOW制作で,Wikipediaを見ると,オーストラリア編は多数あるようですが,録ってあったのはその中の “オーストラリアの大地を行く” のPart 1, 2です.たぶんMX-TVの放送で1年くらい前に録っておいたのだと思います.

Part 1ではシドニーからKatoombaまで普通の通勤型電車で行き,Blue Mountains の観光地をざっと紹介した後に,Zig Zag Railwayを紹介します.

Blue Mountainsは1997年3月に,自宅のあるGordonから自家用車で行きました .一泊二日で, Leura House というゲストハウスに泊まりました.

お約束のThree Sisters (1997年3月撮影)
2006年11月に上空から撮影したBlue Mounains.この年のオーストラリアは山火事がひどく,複数箇所から白い煙が上がっている.

番組の話に戻りますが,冒頭のダイジェストにQueensland Rail (QR)の車両が出たのでアサートン台地のQRの観光路線を紹介するのかと思ったら,なんとZig Zag RailwayにQRの車両をこの番組の取材時(初回の放送が2012年だったらしいのでその数年前でしょう)には使用していたようです.

Zig Zag Railwayの詳細はWikipedia等に詳しく書いてありますが,かつてSydneyから西へ延びる鉄道が高原に上がるために敷設したスイッチバックのある文字通りのジグザグな鉄道です.後にスイッチバックなしに高原に上がる路線ができたので廃線となりましたが,さらにその後ボランティアたちが復興させて現在も運営を続けている観光鉄道です.

1997年当時Zig Zag Railwayについては何も事前の知識無しにたまたま高原をモータースポーツで有名なBathurst方面にドライブしていたら見つけて利用したのでした.たまたまなのか,当時はいつもなのか解りませんが,SLによる運行で非常に貴重な体験ができました.しかし,トンネルに入ると煙もともかく真っ黒な石炭の粉塵が車内に入ってきて,これは廃れるべくして廃れたなと実感したものです.途中で持参していた8mmビデオカメラが故障してしまいました.タイミングがタイミングなので,SLの煙や粉塵によると思いますが,今となっては解りません.

Zig Zag RailwayのSL (1997年3月)

また番組に戻りますが,番組ではSLについては一切触れず,QRの年季の入ったディーゼル列車での運行でした.1987年にケアンズ周辺を観光して,鉄道でAtherton高原の入り口である今では日本でも観光地として有名なKurandaに行きました.当時は高原に観光用でない通勤通学生活用鉄道が走っていて,Kuranda駅で発車待ちの列車を見た記憶があります.それがこの番組で紹介されたQRのディーゼル列車と同じ型であったようななかったような,鉄ちゃんではないので今となっては何ともはっきりしたことは言えません😓 いずれにしてもQRの古い列車を見ると懐かしい気持ちが呼び起こされます.

QRの列車についてはもうひとつ因縁があります😓 1998年に家族旅行する前にたまたまNHKで見た Undara Lava Tubeの番組に関心を持ちツアーに参加しようと検討して,実際に観光施設に問い合わせも入れたのですが,残念ながら幼少の子供たちを連れていくのは無理と判断して訪問をあきらめたのでした.そのツアーの目玉のひとつが The Sabannahlanderという大自然の中を走る鉄道の旅です.Undara Lava Tube一帯はQueensland州の奥地で,列車もQRのものでした(実際にQRが運行しているのかどうかは解りません).

そうしたQRの車両について一言も触れなかったところを見ると,Railway Storyの取材班は素人集団のようだと思いましたが,思い入れがあるのは私の勝手なのでしょうがないですね.

しかし,アデレードとダーウィンを結ぶThe Ghanの旅を紹介したPart 2では,な,なんと,終着駅のDarwinに到着するシーンがなかったのです.これは鉄道だけでなく番組作りについても素人なんじゃないかと思わせるほどの大失態でした.

Part 1に戻りますが,Katoombaから西に進むのではなく一旦シドニーのSydney Central Stationに戻り,周囲を紹介します.取り上げたのは由緒ある教会でしたが,それよりちらっと映った駅前にあるUniversity of Technology Sydney (UTS)のほうが目にとまりました.2006年11月に「業務」で訪問したのでした.そして,シドニー在住時大変お世話になったご家族のお嬢さんの出身校でもあります.

ちなみにこの大学は,Times Higher EducationのWorld University Rankings 2023で133位と,日本のたいていの大学(東大・京大以外全部😓)よりずっと上のランクです.

2006年に訪問したUTSの本部と思われる建物.どうもこの頃使っていたカメラ(いわゆるコンデジ)が良くなくて,雰囲気が解る写真はみんなピンボケなので,やむなく建物の外観の写真を掲げます.

さて番組では特急列車に乗ってメルボルン(Melbourne) に行きました.メルボルンには残念ながらそれほど縁がなく,2回訪問しただけです.2006年11月のシドニーの業務の続きでメルボルンを訪問した時は,番組で紹介された Southern Cross Station の徒歩圏内のホテルに泊まりましたから,それだけでも懐かしく感じました.

Southern Cross駅 (2006年11月撮影)
1983年に訪れたMelbourne郊外の名所Como House and Garden

そして,Adelaide に行きます.Adelaide も訪問回数は都合3回に過ぎませんが,友人のJohn一家によくしてもらって,いろいろ思い出深いです.

番組で紹介された中では特にCentral Marketが2000年に訪問したときそのままの雰囲気でした.

Adelaide Central Market (2000年11月)

Part 2はアデレードからThe Ghanに乗り,Alice SpringsKatherineで途中下車をして街や周辺の観光を紹介します.Alice Springsには1983年と1987年の観光旅行で訪れました.当時よりは派手になった印象です.

Royal Flying Doctor Serviceの歴史的建物.

The GhanはAlice Springs,Katherineを経て終着のDarwinに向かいます.KatherineとDarwinにはいったことがなくいつか行ってみたいと思っています.Katherineの観光の紹介はありましたが,なんとDarwin駅にはRailway StoryのThe Ghanは到着せず,当然街の紹介もなしに終わりました.なんとも残念この上ないです.

詳しくは覚えていないのですが1987年にシドニーのホテルから日帰りのバスツアーでも訪れたはずです.
リンク先は同じ場所の同じ施設ですが,利用した当時と経営・運営が同じかどうかは解りません.
日本語表記では「キュランダ」が多いですが,個人的には現地の人からは「クランダ」と聞いた記憶しかありません.多分「キュランダ」は綴りの中でも“u”は例外なく“you”と発音するアメリカ系の発音なんじゃないでしょうか.知らんけど.
たぶん昨年亡くなった渡辺徹がナレーションをしている「地球ドラマチック」.あとで確認します.
リンク先の写真を見る限り,Sabannahlanderの車両とZig Zag Railwayの車両はエンブレムが異なります.
友人はいて,長男が高校時代2週間泊めてもらいました.