古いものの処分中に手が止まる

ありがちですね.写真や自分で書いたメモ・ノート.

一昨日に処分を留保して置いた書類の処理をしました.ほとんど全てドキュメントスキャナーでスキャン済なのですが,年数が経たないレシートやその他の書類を箱に貯めていてその箱の深さ15cmを超えて書類が上に積もっているので処分をしました.たぶん,7〜8年分あります.

例えば保険会社の「ご提案」の書類などはページ毎に氏名や年齢が入っているので,シュレッダーにかけます.シュレッダーは長年手動のものを使っていましたが,7〜8年前にコクヨの電動式を買い便利に使っています.圧倒的に楽ですね.

その中で今回は,大学の後輩が亡くなったという奥方からの葉書,電気製品のレシートの原本などは保存することにして,他は個人情報やそれに関連した情報が印刷したものはシュレッダーにかけ,その他は雑紙(ざつがみ)として資源ゴミに出すように仕分けしました.

廃棄の決断ができないのは写真を撮りました.そのうちの2枚が次の写真です.

左の何とかクリニックは,わが家からぎりぎり徒歩圏です.たいてい自転車で行きましたが.初診は十数年前だったと思います.今では体のあちこちにできたり消えたりしていますが,胸のあたりに原因不明の赤い発疹ができたのを見てもらったのが最初だったと思います.

このあたりに皮フ科クリニックは多くなくてどこも混んでいるので試しに行ってみた感じです.ここは話には聞いていましたが,混むことはまずないのです😓 それでも根強いファンはいて,悪い評判は聞いたことがありませんでした.

新型コロナワクチン接種も2回くらいここで受けました.

3年前に胃の内視鏡検査を受けたのが最後だったと思います.その時点で近々閉院するという話は聞いていました.それから1年しないうちに閉院しました.

かたくなに院内処方を続けていましたが,たぶん閉院する事を見込んでいて,処方箋を発行するシステムなどの導入をしなかったのだと思います.

また,ケーブルカーの切符は今年3月の筑波山登山の時のものです.こちらも話せば長くなります.

妻の友人Vさんから今年の2月に筑波山に登りたいとのメールが来て,行ってきました.

Vさんは旦那さんがMelbourne大学の研究者か技術者で1990年代後半に何度か出張でつくば市内の研究機関に家族を連れて来ていました.知り合ったきっかけは,銀行で勝手が分からない様子のVさんに妻が声をかけたことらしいです.

それから時々日本に来ると家族同士で公園に行ったり食事をしたりしていました.

また,わが家の長男が高校生の時に一人でオーストラリアを旅行したいというので,Melbourne滞在の時は面倒を見てもらいました.それもなかなか曰く付きで,長男がMelbourneにいる期間とちょうどVさんが第三子を出産する予定と重なり,さすがにVさんの家には泊められないということで,代わりに近所の友人宅を紹介してもらい,そちらに1週間近く泊めてもらったのです.

今回は何年かぶりだったのですが,Vさんから連絡があり,Vさんのお姉さんと2人で(こちらは妻と私)こちらに来て筑波山に登りたいというので引き受けました.

最初は往復歩いて登山するという話でしたが,現地についてケーブルカーで上り,下りるときも結局ケーブルカーで下ることになりました.

私自身,末娘の幼稚園の遠足に付き添って以来ほぼ四半世紀ぶりの筑波山登山でした.末娘の時も幼稚園の年少だったので,上りはケーブルカー,下りはロープウェイでした.

Prawn Chips

生活の中のできごとやSNSの投稿を見て昔のことを思い出すことがしばしばあります.特にオーストラリアのことが多いです.

この大手スーパーのプライベートブランド商品,本当は買うつもりはなかったのです.このシリーズ中の揚げせんべいが気に入っていて先日炎天下買いに行ったのですが,その商品だけ売り切れていました.仕方ないので適当に選んだのがこのえびチップスです.

大手スーパーのプライベートブランド商品「エビチップス」

意図しないで買ったわけですが,これはオーストラリア時代中華レストランでテイクアウェイしたprawn chipsを思い出させます.

オーストラリアに赴任していた間,通常食事は近所のスーパーで惣菜や米を買い普通に調理していたわけですが,たまに中華レストランからテイクアウェイをしました.

テイクアウェイはどこのレストランでもやっていました.利用したのはピザ,タイ料理,そして中華で,普通の食事になるので中華は一番多かったです.それも最寄りの駅前にある中華レストランは徒歩で行けるので一番利用回数が多かったと思います

電話をかけて注文して,料金を聞いて,頃合いを見て徒歩か車で出かけました.

あるとき前の客が受け取るのを見ていて香ばしい紙袋に入ったのを店主が “prawn chips” といっていたので,次の時に頼んでみることにしました.

その次の機会に実際に頼みましたが,紙袋に入った大きめなエビ風味のせんべいです.オーストラリアではシドニー以外でも “prawn chips” でしたが,世界的には “prawn cracker” と呼んでいるようです.

油で揚げたてのものを紙袋に入れてくれるので紙袋は油でベタベタになります.それでも家に帰ったくらいに食べてもパリパリとおいしい食感です.

たぶん,2000年にアデレードを訪れたときも中華レストランで2回ほど買っているはずです

そんな,後にしてみれば思い出深い食品なのに写真が一切残っていません.ついでに言えばオーストラリア時代にテイクアウェイした料理はひとつも写真がありません.

大手スーパーのプライベートブランド商品のエビチップスも,そこそこおいしく,そんな思い出に浸りながら食べました.

しばしば当BLOG内で言及していますが,筆者は仕事の関係で1996年3月から1997年6月までの15か月間家族を連れてシドニーに赴任していました.
日本では米語由来の “テイクアウト” が一般的ですが,オーストラリアでは “Take away” = “テイクアウェイ” です.
と,この記事を書いているときには思いましたが,あとで思い返してみたら,たしかに最初に prawn chips を購入したのは駅前の店ですが,利用回数が多かったのはPymble駅前の “Very Good Restaurant” でした.ちなみにどちらのレストランも2025年9月現在存在していません.
レストラン名は “LIM’s Restaurant” と記憶しているので,ここだと思います.
油がギトギトでない分ずっとましかも😓

“Hotel” どうでもいいことを思い出す😓

そう言えば,中国本土はホテルのことを「飯店」というのだったと思います.故田中角栄総理大臣が日中国交正常化で招かれてパーティーをしたりとかのニュースで度々聞いて覚えたように思います.

一方,自分がシンガポールの定宿にしていたホテルの英語名は “Summer View Hotel” で,漢字名は「日晶酒店」です.たしか,多くのホテルは酒店だったと記憶しています

シンガポール中心街にある Summer View Hotel.漢字名は「日晶酒店」. 2005年12月撮影

面白いのはオーストラリアで, “Hotel” と名乗っていても宿泊施設ではない所が結構あります.シドニー在住時,職場の忘年会的なパーティーが行われたのは自宅近くの “Greengate Hotel” でした.とても気に入ったので後で知人がシドニーに泊まるというので宿泊できるか問い合わせたことがあります.答えはノーで,宿泊施設ではないのです.

あちこちの街を歩いたり車で走りながら気をつけてみると, “… Hotel” があります.私も事情を知らなかったのですが,後に「世界ふしぎ発見」で知りました.

その昔オーストラリアでは仕事上がりの労働者たちが深酒するのが問題になり,宿泊施設(ホテル)以外での夜の酒の提供が禁止されたそうです.そこで,困った居酒屋が店舗の隅に狭くて実際には人が寝ることができないようなスペースを「宿泊施設」として用意し,店の名前も “… Hotel” と名乗ったそうです.その名残のようです.

Hilton Hotel. Adelaideの中心街近くにあり,どう見てもあの Hilton Hotelには見えません.ビールの看板があるので居酒屋と思われます.2000年11月撮影.

なんか,江戸時代のぜいたく禁止令に対する庶民の抵抗みたいで面白いです.

Greengate Hotelについては当時写真を撮らなかったこともあり,まだ記憶が残っている間に記すことにしました.今も健在なようでなんかうれしいです.

盛ってます😓
ざっとネット検索してもそのようです.

遅かりし由良之助

仮名手本忠臣蔵で大星由良之助が主君塩冶 判官の切腹に間に合わなかったときを描写する言葉でだれかの台詞というわけではないそうです.

さて,アマチュア無線関係のお友だちが,数十本ものminiDVテープをデジタイズしたというBLOG記事を公開されて,自分も前からいつかはやらなきゃと思っていたので着手しました.

1998〜2008年頃までに撮影したminiDVテープ.全部で17本.奥は8mmビデオテープで30本くらいあります.”SONY”のロゴの機材は8mmビデオ録再専用(TVチューナーなし)デッキです.これも最近使用してないので動作するか不明😅

まずは接続ケーブル類を探してみましたが,使えそうなものが一つもありません.それより手持ちのminiDVカメラが動くのか確認が先だろうと試したところ,だめでした.

miniDVカメラ

バッテリーの充電はできました.テープの装着・イジェクトもできます.しかし,再生ボタン,早送り・巻き戻しボタンのどれを押してもささやかな動作音がした後「保護回路が働きました」と出て,使えない状態です.

再生・早送り・巻き戻しのどの操作をしても「保護回路が働きました」となって,以後操作不能になる.

しばらく,1日に何回か試して見ることにしますが,復活するのは期待薄でしょう.

わが家のホームビデオ史は,1987年頃にC社の8mmビデオカメラを買ったのが始まりです.その後少なくとも一度は8mmビデオを買い替えて,1998年にはminiDVカメラを使い出しました.最終的には2008年まで使ったので,その間にたぶん一度は買い替えをしています.

2008年以降は,iPod touchになり,後にiPhoneになってます.

もともとデジタルなので,デジタイズは誤りですね.転送した,かな.

6月21日

何年,何十年前のこの日に何があったか思い出すのも楽しいものです(辛い,悲しい日のこともありますが).

最近そんなBLOGの機能はないかと探したら, “On This Day” というプラグインがあるのでインストールしてみました.

あいにくと当BLOGで6月21日の記事は, “logデータの突き合わせプログラムを書けという自分への指令(2) (2020年)” しかないようです.これは完全に自分だけに宛てた備忘録でしたが,その後無事に完成してlogデータの抜け落ちは可能な限りなくしたと記憶しています.

6月21日といえば夏至です.当BLOG記事にはないですが,夏至で思い出すのは,2001年のオスロ出張です.

当時のカレンダーとmacOSアプリ “写真” で再確認すると,2001年6月16日(土)に成田を発ち,フランクフルト経由でオスロに着き,22日(金)にオスロを発ってやはりフランクフルト経由で成田に23日(土)に帰ってきました.

泊まったムンクホテルは今もあるようです(Google StreetViewで確認できる).一階がレストランとガソリンスタンドという何かあったら助からない構造です.

冬の日が極端に短い北欧の人々は夏至を特別な思いで迎えるように感じました.午後10時過ぎまで明るくて,朝は3時頃には明るくなったように記憶しています.

オスロの印象としては,ほとんどの人が英語を高い水準で話すので,意思疎通に困ることはなかったことでした.

時間的に余裕ができてムンクの叫びを見にムンク美術館に行きました.オスロ国立美術館のほうが有名なようですが下調べしないでたまたまムンク美術館の方に行きました.後にムンク美術館に白昼強盗が押し入り, “叫び” を持ち去ったとの大ニュースが入り,より記憶が鮮明化されました.

ムンク美術館(2001年6月19日)

晴れると日差しはそれなりに強かったですが,時々雨雲が来て雨が降ると寒いくらいでした.

雨が降って寒かった2001年6月21日.博物館行きのフェリーの窓越しのオスロの街

もともと写真をあまり撮らないほうでしたが,この頃はデジタルカメラを日常的に使うようになり,初めての国際学術会議参加の出張だったので一週間で600枚ほどの写真を取りました.

#Oslo #オスロ #夏至

アマチュア無線の交信データ.
たぶん英語圏の国で就業するのも問題ないレベル.
2004年8月.
コンパクトデジタルカメラ=コンデジ.