“Hotel” どうでもいいことを思い出す😓

そう言えば,中国本土はホテルのことを「飯店」というのだったと思います.故田中角栄総理大臣が日中国交正常化で招かれてパーティーをしたりとかのニュースで度々聞いて覚えたように思います.

一方,自分がシンガポールの定宿にしていたホテルの英語名は “Summer View Hotel” で,漢字名は「日晶酒店」です.たしか,多くのホテルは酒店だったと記憶しています

シンガポール中心街にある Summer View Hotel.漢字名は「日晶酒店」. 2005年12月撮影

面白いのはオーストラリアで, “Hotel” と名乗っていても宿泊施設ではない所が結構あります.シドニー在住時,職場の忘年会的なパーティーが行われたのは自宅近くの “Greengate Hotel” でした.とても気に入ったので後で知人がシドニーに泊まるというので宿泊できるか問い合わせたことがあります.答えはノーで,宿泊施設ではないのです.

あちこちの街を歩いたり車で走りながら気をつけてみると, “… Hotel” があります.私も事情を知らなかったのですが,後に「世界ふしぎ発見」で知りました.

その昔オーストラリアでは仕事上がりの労働者たちが深酒するのが問題になり,宿泊施設(ホテル)以外での夜の酒の提供が禁止されたそうです.そこで,困った居酒屋が店舗の隅に狭くて実際には人が寝ることができないようなスペースを「宿泊施設」として用意し,店の名前も “… Hotel” と名乗ったそうです.その名残のようです.

Hilton Hotel. Adelaideの中心街近くにあり,どう見てもあの Hilton Hotelには見えません.ビールの看板があるので居酒屋と思われます.2000年11月撮影.

なんか,江戸時代のぜいたく禁止令に対する庶民の抵抗みたいで面白いです.

Greengate Hotelについては当時写真を撮らなかったこともあり,まだ記憶が残っている間に記すことにしました.今も健在なようでなんかうれしいです.

盛ってます😓
ざっとネット検索してもそのようです.

遅かりし由良之助

仮名手本忠臣蔵で大星由良之助が主君塩冶 判官の切腹に間に合わなかったときを描写する言葉でだれかの台詞というわけではないそうです.

さて,アマチュア無線関係のお友だちが,数十本ものminiDVテープをデジタイズしたというBLOG記事を公開されて,自分も前からいつかはやらなきゃと思っていたので着手しました.

1998〜2008年頃までに撮影したminiDVテープ.全部で17本.奥は8mmビデオテープで30本くらいあります.”SONY”のロゴの機材は8mmビデオ録再専用(TVチューナーなし)デッキです.これも最近使用してないので動作するか不明😅

まずは接続ケーブル類を探してみましたが,使えそうなものが一つもありません.それより手持ちのminiDVカメラが動くのか確認が先だろうと試したところ,だめでした.

miniDVカメラ

バッテリーの充電はできました.テープの装着・イジェクトもできます.しかし,再生ボタン,早送り・巻き戻しボタンのどれを押してもささやかな動作音がした後「保護回路が働きました」と出て,使えない状態です.

再生・早送り・巻き戻しのどの操作をしても「保護回路が働きました」となって,以後操作不能になる.

しばらく,1日に何回か試して見ることにしますが,復活するのは期待薄でしょう.

わが家のホームビデオ史は,1987年頃にC社の8mmビデオカメラを買ったのが始まりです.その後少なくとも一度は8mmビデオを買い替えて,1998年にはminiDVカメラを使い出しました.最終的には2008年まで使ったので,その間にたぶん一度は買い替えをしています.

2008年以降は,iPod touchになり,後にiPhoneになってます.

もともとデジタルなので,デジタイズは誤りですね.転送した,かな.

6月21日

何年,何十年前のこの日に何があったか思い出すのも楽しいものです(辛い,悲しい日のこともありますが).

最近そんなBLOGの機能はないかと探したら, “On This Day” というプラグインがあるのでインストールしてみました.

あいにくと当BLOGで6月21日の記事は, “logデータの突き合わせプログラムを書けという自分への指令(2) (2020年)” しかないようです.これは完全に自分だけに宛てた備忘録でしたが,その後無事に完成してlogデータの抜け落ちは可能な限りなくしたと記憶しています.

6月21日といえば夏至です.当BLOG記事にはないですが,夏至で思い出すのは,2001年のオスロ出張です.

当時のカレンダーとmacOSアプリ “写真” で再確認すると,2001年6月16日(土)に成田を発ち,フランクフルト経由でオスロに着き,22日(金)にオスロを発ってやはりフランクフルト経由で成田に23日(土)に帰ってきました.

泊まったムンクホテルは今もあるようです(Google StreetViewで確認できる).一階がレストランとガソリンスタンドという何かあったら助からない構造です.

冬の日が極端に短い北欧の人々は夏至を特別な思いで迎えるように感じました.午後10時過ぎまで明るくて,朝は3時頃には明るくなったように記憶しています.

オスロの印象としては,ほとんどの人が英語を高い水準で話すので,意思疎通に困ることはなかったことでした.

時間的に余裕ができてムンクの叫びを見にムンク美術館に行きました.オスロ国立美術館のほうが有名なようですが下調べしないでたまたまムンク美術館の方に行きました.後にムンク美術館に白昼強盗が押し入り, “叫び” を持ち去ったとの大ニュースが入り,より記憶が鮮明化されました.

ムンク美術館(2001年6月19日)

晴れると日差しはそれなりに強かったですが,時々雨雲が来て雨が降ると寒いくらいでした.

雨が降って寒かった2001年6月21日.博物館行きのフェリーの窓越しのオスロの街

もともと写真をあまり撮らないほうでしたが,この頃はデジタルカメラを日常的に使うようになり,初めての国際学術会議参加の出張だったので一週間で600枚ほどの写真を取りました.

#Oslo #オスロ #夏至

アマチュア無線の交信データ.
たぶん英語圏の国で就業するのも問題ないレベル.
2004年8月.
コンパクトデジタルカメラ=コンデジ.

Mr / Mrs / Dr などに “.” (ドット)を付けないのが普通

1996〜1997年にシドニーで暮らしたときに既に気がついていましたが,あちらではMr. Abc や Dr. Xyz としないで,Mr Abc, Dr Xyz とするのが普通でした.

今更ながらネット検索したら,Q&Aを中心に多数の記事が見つかって,今日ほとんどの英語圏で “.” を付ける方式は正しくはあるけど,古臭く受け取られるそうです.

というか,会社や役所から来る郵便の宛名はたいていMrもついてなくて,いきなり氏名が書いてあるのが多かったです.

というわけで帰国して以後定年まで名刺の英語面に “.” を付けませんでしたが,同僚でそうする人はいませんでした.

円安ではなくて所得格差

CBC制作の午後のワイドショーをときどき見ています.

今日は行動制限が解除され,海外からも観光客が多く来ているというニュースをやっていました.オーストラリア人観光客に聞いたら「(オーストラリアだと外食は)一食2,500円くらいはするのに日本だと3食たべられる」といっていました.それを受けて,海外観光客増加の要因の一つに「円安」を挙げていました.

しかし,このオーストラリア人のインタビューを受けて「円安」というのは浅はかにもほどがあります.この記事を執筆している2023年5月2日(火) 14:18現在1AUD=92JPYです.これはここ十年で見て少し高め(円安)ではありますが,1回分の食費で3回も食事ができるほどの高さではありません.

筆者がシドニーにいたころ,わずか一年の間でしたが,1AUDは85JPY(1996年3月)から100JPY(1997年6月)までほとんど単調に増加しました.しかし国内の物価に大きな変化はありませんでした.また,当時のオーストラリア国内の物価は日本と比較して少し安いくらいでした(日用品,食料品や外食).

その後26年経ってもオーストラリアドルの水準は日本円に対して大きく増減していません.ところが食費が3倍と言うことは物価が上がったということでしょう.オーストラリア国内にも格差はあると思いますが,賃金水準もそれに近いくらい上がっているということになります.

そう言えば,少し前NHKで,海外で短期間働いて稼ぐ日本人の若者たちについてのレポートがありました.いくつかの例のうちの一つはオーストラリアのサーフィンで有名なビーチ(ゴールドコーストではなかったと思う)近くの農園でパートタイマーとして働いて,勤務時間外はサーフィンを楽しむというものでした.パートとは言え日本国内の正規労働よりも賃金水準が高くて,しかも時間外労働は一切ないのが魅力ということでした.

ですから,冒頭のニュースのインタビューを受けた解説は,オーストラリアなどからの海外観光客の増加は「円安」ではなくて「所得格差(物価の格差)」とすべきでした

1年3か月で17%円安(豪ドル高)になったわけです.
欧米の先進国からの観光客についても,円安より所得格差の方が大きな要因と思います.