対ドイツ戦勝記念局

報道系バラエティーで盛んに言われていますが,5月9日はロシアの対ドイツ戦勝記念日です.アマチュア無線を長年やっているから知っていました.毎年もう少しするとコールサインに1945年からの経過年数を入れた,ロシアのドイツ戦勝記念局が出てきます.今年は77年周年なので,RP77AA的なコールサインになると思います1国内外の記念局と交信するのは好きなのですが,いつまでも過去の戦勝を祝うのは未来志向ではなく好ましく思わないので,ここ数年は積極的には交信しませんでした.

今年は,そこに対ウクライナ戦勝記念の意味も当然入ると思います.

自由と民主主義を守り抜く決意のアマチュア無線家としては,間違っても交信するわけにいきません.

しばらく無線の運用をやめることにします.

強権政治が好きな人たちの理想郷

政治家でも一般市民でも,強権的で人権が制限されていて,戦争がやりやすい国が好き,というか,日本をそういう風な国にしたい(あるいは「戻したい」)人は少なくないように感じます.

そういう人たちは概して,共産主義とか社会主義が嫌いなのは面白いところです.現在ある共産主義とか社会主義を看板にしている国の本質はそういう風な国と同じにしか見えないんですが😓

しかし,そういう人たちが好きでしょうがないはずな国が実在していたことが現在世界中の人々にまざまざと見せつけられているところです.

強権的で人権が制限されて,独裁者の一存で戦争が始められて,しかも社会主義でも共産主義でもない国.ああ恐ろしや.

1度サーバーをガチャンと切り替えてみます

LAN内で,新しいサーバーの準備をしています.デフォルトのmail transfer agent (MTA)がsendmailからPostfixに変わったとか,httpdはたぶん動くだろうとか解りましたが,実際に外からアクセスできるようにしてみないと,動くかどうか解りません.

2022年4月6日(水)の午前中に切り替えを予定しています.あんまりひどかったら元に戻します.

以後しばらくは当サイトの運用が不安定になるかもしれませんので,ご承知ください.

安定しましたら,またお知らせします.

Facebookに次から次へと現れる詐欺広告は何を目的にしているのだろう

Facebookがなかなか好きになれない理由の1つが次から次へと現れる詐欺(的)広告です.最近は主に2つの傾向があって,1つは高級バッグです.もう一つはApple製品です.

高級バッグに関しては,有名デパートや大手免税店の名前を出して,そこが閉店するので在庫を安売りするような文脈です.

Apple製品に関しては,ありえない低価格で紹介して,購入の手順についてはメッセージを送り受けして知らせるような形をとっているようです.

どちらも,誰が見ても詐欺(的)広告に見え,ひっかかる人は多くないと思いますが,何を目的にしているのかがよく解りません.ネット検索してもその辺の事情について書かれたものは見つかりません.

Facebookに広告を出しているから,それなりの投資はしているわけで,それが回収できるから次から次へと同じ手口の広告が出てくるのでしょう.

一番リスクが低い,クレジットカードの情報を集めて,それを転売する場合,ネット検索したところ,クレジットカードの情報は1件あたり10〜20USDくらいだそうですので,あんまりいい商売ではないかも知れません.

利益は大きくなりますが,その代わりリスクも大きくなるケースとして,手に入れたクレジットカードで情報を自分たちのグループで使って,数万〜数十万円程度のものを購入して転売して現金化することも考えられます.しかし,ニュースなどで見る限り,こういう詐欺は分業化しているので,全部自分たちでやる可能性は低いかもしれません.

裏社会に詳しいジャーナリストによる体験(潜入)レポートが期待されます.

3月20日

1995年

1995年3月20日にオウムの地下鉄サリン事件がありました.多くの方が亡くなり,今なお後遺症で苦しんでいる方もいるせい惨な事件です.

前述のようにこの年度は「江戸詰」だったのでした.被害に遭われた方の多くと同じ霞ヶ関の一角に通っていましたが,あまりまともでない役人😅だったのでこの事件が起きた午前8時頃は,まだ家を出たかどうかのタイミングです.また,通勤経路も少し変わっていて,銀座線を使っていましたので,仮に何かの事情でこの時間帯に霞ヶ関近く1虎ノ門駅を利用していました.に来ていたとしても直接被害に合うことはなかったと思います.

そして,そもそもまさにこの事件の起きた時刻にはアデレードにいたのでした.ですから,間接的な被害(交通や職場,周辺の混乱)にも合いませんでした.

当時,出先でインターネットが利用できるような時代ではなかったので,たぶんこの事件については,オーストラリアのテレビニュースで知ったと思います.

この日は観光をしている写真が残っていないので,業務だったと思います2今思えば,業務だからこそ写真を撮っておくべきだったと思いますが,そんなに公的な訪問で,広報担当者でもない限り写真をパチパチ撮るような時代ではなかったようにも思います.(といっても,業務関連の研究機関を訪れ,見学とディスカッションをするというゆるゆるの業務でした).

事件の犠牲になった方々のご冥福を祈り,被害合われた方々へお見舞いを申し上げたいと思います.

1996年

翌年の1996年3月20日は,やはり写真がありませんが,たぶん,シドニー郊外で借りる家が決まった頃だと思います.

1997年

さらに翌年の1997年3月20日は,たぶんシドニー郊外の自宅で過ごしていたと思います.3月いっぱい長男の通う小学校は夏休みで,前の週はブルーマウンテンズに2泊3日くらいで行ってきました.その頃,アナログ写真は撮らず,8mmビデオ撮影が多く,PowerMacに読み込ませていました.といっても当時のキャプチャーは480×360とかの低解像でした.また動画はディスク容量も食うので,短いビデオクリップやスティル写真を “写真” として残した程度です.スティル写真は写真としては鑑賞に堪えない画質でしたが,当時のWebに載せるには十分でしたし,現像・プリントが要らないのでなんといっても手軽で迅速,経済的でした.

Clarenceにて (1997/3/15)

ところが,この撮影の直後,蒸気機関車3有志たちが管理運営している,歴史的な蒸気機関車.がトンネルを抜けた後,8mmビデオカメラが故障してしまい4蒸気機関車は,煙も出しますが,細かい石炭の粉をまき散らしながら走り,座席も石炭の粉だらけでした.たぶん石炭の粉塵が8mmビデオカメラのメカに入り込んだのだと思います.,3月20日を含む1か月間ほどビデオカメラが使えなくなりました.旅行から帰ってからしばらくはあきらめてアナログ写真を撮っていました.