渡豪20周年

1日遅れてしまいましたが,いや,出発は1996年3月10日で,シドニーに着いたのは翌朝だから良いのかな^^; オーストラリアへの1年3か月間の長期出張への旅立ちからまる20年が経ちました.

オーストラリアに20年いるわけではないので悪しからず^^;

どんな天気だったかなぁ.たぶん,空港からタクシーで,予約した宿のあるKillaraに向かったんじゃないかと思います.タクシーの運転手(本人も白人)が,前は,白人の女性と結婚していたけど,離婚して,最近アジア系の女性と再婚したという話をしていたんだと思います.

ただし,前年(1995年)の3月と,この年の2月にもシドニーに行ったので,この会話が行われたタクシーにこのとき乗ったものだったのかは,解りません.

この日にこのタクシーに乗ったのだとすると,白い雲がたくさん浮かんでいましたが,天気は良かったと思います.

この頃は,タクシーの運転手もフレンドリーで,会話を楽しむことができました.このあと10年経ってからシドニーに行ったときは,乗車拒否はするは,英語はろくに通じないはで,タクシーに乗るのがちっとも楽しくなくなりました.

着いた翌日あたりから,1年ちょっとの間,客員研究員として滞在する研究機関に通い始めました.しかし,4月はじめに家族が来るのに備えて,家探しをするのが3月中の主な仕事となりました.

前任者たちは,Chatswoodから南に住んでいたので,それに習って,LindfieldとChatswood周辺で家探しを始めましたが,手頃な家賃の家はありませんでした.

大きな違いは,前任者たちはアパート住まいだったんですが,私は戸建を探したので,都心に近いLindfield以南では無理だったわけです.結果的にChatswoodやLindfieldより少し北のGordonに家を見つけました.16she-199704-09これは,1996年3月17日に,Narrabeenで撮ったということになっている写真です.まだ,この頃は,アナログカメラが普通でした.この頃はあまり写真は撮りませんでした.

そう言えば,この年にオーストラリアで急速に携帯電話が普及しました.日本での普及も全く同じ時期のようです.

私の職場では1年以上は長期出張と呼んでいます.他の会社の人にいうと,「1年は長期ではない」と笑われますが^^;
2006年11月.
シドニーの都心に近い方.
日本でもそうだったから.
日本でもそうでしたし,ホスト研究員たち地元の人たちからは,子供のいる一家はふつう戸建に住むというアドバイスがありました.
Google Earth, Mapなどと比較してみて,Narrabeenとみて矛盾はありません.

Showbag

いままで,ときどき思い出しましたが,BLOG/webには書かなかったと思います.

オーストラリアに赴任したのは,1996年3月10日ですから,まもなく20周年となります.最初はホテルに滞在して家探しをしていました.暇だし,英語・文化の勉強のために良くテレビは見ていました.

今の時期,テレビでは,showbagの宣伝をたくさんやっていました.子供向けの福袋のようなものだろうと思ってました.で,思いついて先ほど調べたら,オーストラリア特有の文化のようです.

イースターの時期,Easter showというのが,各地で開催されます.この”show”はWikipediaによれば,festivalとのことです.シドニーでは,”Sydney Royal Easter Show”というのが,当時も今も盛大に行われているようです.

このこと知っていたら行ってみるんだったなぁとちょっと後悔しています.

JAF退会

一昨年,自分の車を処分して,まあ,今後自分の車を持つこともないだろうから,そのうちにJAFを退会しようと考えていたことを,ふと思い出して,退会の連絡をしました.

対応した係の人によれば,33年間会員だったそうです.

JAF会員証提示による割引は,数えるほどしか利用したことありませんし,ロードサービスも1度利用しただけです.寒いなか長時間待たされて,もう利用すまいと決心しました.

今どきは,自動車保険にロードサービス付いてますしね.

JAFに入っていて良かったと思ったのは,1996〜1997年シドニーに住んだときで,JAFの会員証提示で無料であちらの提携先の連盟NRMAに入れて,あちらで3回くらいロードサービス利用したことでしょうか.

1年ちょっとで3回のオーストラリア,33年で1度の日本^^; 自動車の品質を物語っています.

NRMAは保険会社も経営していて,自動車保険に入りましたから,あちらとしても商売にはなったと思います.

まあ,終活事始めということで^^;

この1年 (2015)

全般

歳を取ると,1年が早く感じられると言いますが,個人的にはこの1年はいろいろなことがありすぎ,かなり長い1年でした.

詳しいことは書けないのですが,かなりひどい状況まで行き,何とか生還したというのが,大げさでないところです.幸せとは普通のことであると言うことをつくづく実感しました.

健康状態は,今年は,内臓的な問題はありませんでしたが,整形外科的問題に悩まされ続けられました.頸,肩,肘,手首などの関節の痛みやしびれなどで,恒常化しています.

海外へは今年も公私とも行く機会がありませんでした.最後に海外に行ったのは,2013年12月のシンガポール出張でした.次は,いつ行けるのかなぁ.

シンガポールとクアラルンプールは,合わせて8回ほど行きましたが,ほとんどが滞在日数3〜5日の出張で,名所やアトラクション的な物はほとんど行っていません.いずれプライベートでゆっくり行ってみたいと思っています.

今年は,幸い親族に病気・けがや不幸はありませんでした.しかし,年末に届いた喪中の知らせは例年よりずっと多かったです.自分と同世代の知人(高校・大学の同窓生や前後の年度の先輩後輩)の親は,いつどうなっても不思議ではないということでしょう.中にはお若い方の訃報もあって,たいへん残念に思いました.

それから,某SNSで,家族みんなで外食に行きました的な投稿を見て,ふとアルバムを調べて解ったことですが,わが家(私たち夫婦と子供たち)全員が最後にそろったのは,2014年正月だったようです.わが家5人のうち4人で外食に出かけたのも,2014年9月が最後です.

一家そろって外食なんて,ささやかな喜びだと思っていたのですが,気がついたときには,もうそういうことはない(したくてもできない),という,とてもプライスレスな^^; 事なのです.

家族がそろえるご家庭は,そろえるうちにどしどし外食に行って,日本の経済に貢献してください.

iPhoneに全面依存

これまで,モバイルルーターと,iPod touchやMacを持ち歩くという形でやって(何を^^; )きましたが,今年iPhoneを購入して,ほぼiPhoneのみ持ち歩く形になりました.

いろいろ持ち歩くよりも楽です.カメラの機能も自分的には十分です.

完全に依存状態です^^;

壊れた物

コーヒーミル

シドニー在住中(1996〜1997年)に,シドニー郊外にある巨大ショッピングセンターMcquarie Centre内のデパートGrace Brosで購入した,イタリア製のコーヒーミルです.とても気に入っていましたが,同居人の1人が,エスプレッソを入れるために,ミルの歯の間を狭めて使いまくったせいで,一気に寿命が来てしまいました^^;

やすりで目を立ててみますかね^^;

摩耗したコーヒーミル

 

摩耗したコーヒーミル

その他

アルバム見ながら,廃棄した物をリストにしてみます.

  • IBM Microdrive
  • 昔奥歯にかぶせていた金(合金)
  • 中学か高校時代に山口県に行ったときに買った,亀の小さい置物
  • 最後の5インチフロッピー(メディア)
  • シドニー時代の道路地図
  • 大学院時代の教科書
  • Nautilus CD
  • シドニー時代ののこぎり(押すと切れる西洋式)
  • 東日本大震災で破損したコーヒーミル(上の記事とは別の物)
  • SWR計
  • 中学生時代にJARL埼玉県支部のフォックスハンティングで入賞したトロフィー
  • 古い規格のテプラのテープ
  • LIQUID Paper (修正液と薄め液)
  • Kensingtonのトラックボール(ポインティングディバイス)と,古いMacbookの替えトラックボール(カラーボール)
  • 友達の結婚式の引き出物だった,受話器置き台と水差し
  • FAX, 屋内交換機,子機4台(普通の電話機),インターフォン2機
  • マイクロカセット式の留守番電話機
  • RocketPort PCI 8port

あぁ^^;

その他

  • 今年撮った写真は1,483枚
  • 長年利用してきた珍来桜インター店閉店
  • 年間のへそくりの増減 -10万円(Mac mini2台とiPhoneを買った影響が大きい)
  • 体重の増減 -0.1kg(一時期-3kgまで行ったのに戻ってしまった^^; )

ISDNよさようなら

わが家がISDNを引いたのは、シドニーから帰国した1997年の秋でした。以来18年間、使ってきたわけですが、2002年頃に光ファイバー(10Mbps)を引いたので、デジタル回線として活躍したのは5年ほどで、以降は事実上アナログ専用となりました。

それでも、あえてISDNのままにしていたのは、

  1. 通信の秘匿性
  2. 2番号(FAX専用番号)
  3. syslog
  4. 迷惑電話拒否

の4つの積極的な理由がありました。ISDNは暗号化したデジタル回線なので、電話線に盗聴装置を付けても通話内容を盗聴することはできません。一時期「町中盗聴器だらけ」っていうような番組をよくやっていて、それなりの危機感はありました。もっとも、室内の音を拾うような盗聴をされてしまったら、どうしようもありませんが。

また、一時期はFAXをかなり頻繁に使っていました。オプションで2番号にして(iナンバー)、片方をFAX専用にして便利に使っていました。それも、mgetty+sendfaxについていたスクリプトを改良して、FAXを着信すると、

  1. Fax modemがmgettyによってG3を受信する
  2. G3をpbmという形式に変換する
  3. pbmをpngに変換する
  4. pngをpdfに変換する
  5. pdfをmime化する
  6. sendmailで妻と私のメールアドレスに送る

という、アクロバティックなオン・ザ・フライ変換をして自動的にメールとして受け取っていました。

最近になって、どうもFAXの発着信がうまくいかなくなりました。調べてみると、FAX用に使用していたISDN-TAの寿命が来たようで、アナログポートががさがさノイズを出します。

3番目のメリットですが、ISDN-TA(MN128SL11)が、syslogに対応していたことです。リモートのサーバーにログをはき出せますので、そこから電話番号等の情報を取り出して表示するというというスクリプトを作って、家庭内からも外からも電話の発着履歴が確認できるようにしていました。

20151105mn128

そして、迷惑電話対策ですが、着信拒否として登録した番号に対しては、「話中」を返すので、違和感なく着信の拒否ができました。アナログ専用となり、FAXもほとんど使わなくなってからは、この機能が一番ありがたかったです。

NTTの言うところのINS64.