水曜どうでしょうプレミア 2

実際,11日日曜日の水曜どうでしょうプレミアは都議会の録画放送で中止になりました.これでMX-TVの放送が3週というか2.5週遅れになります.

千葉テレビでは,オーストラリア縦断の旅が始まりました.このオーストラリア縦断の旅の最初の放送(本放送)が,水曜どうでしょうを見るきっかけになりました.

1997年6月に1年3か月のシドニー滞在から帰国したばかりで,その滞在時にダーウィン〜アリススプリングス〜アデレードには行きませんでしたが,もろもろの風物とかちらっと紹介されるテレビ番組とか,これもほんの少ししか写らない出演者以外の人々の様子がとても懐かしく感じました.

中でも大泉洋が大笑いするお笑い番組 “Full Frontal” が出てきますが,あの鉄腕アトムみたいなカツラをかぶったニュースキャスターを演じているコメディアンは,当時オーストラリアで人気だったエリック・バナ (Eric Bana)です.彼は後にハリウッドで活躍し,最近では 「渇きと偽り」 “The Dry” で主演を努めています

Full Frontalは日本で言うとゲバゲバ90分,BBCでいうと “Monty Python” 的なコメディーのオムニバス番組でした.解らないところもありましたが,全体的に面白かったです.面白いのを見るのが一番英語の勉強になると思って見ていました.

2006年に仕事でシドニーに行ったときは,ビデオ・レコード店でDVDを買ってきました.

Frull Frontal のDVD.写真右がEric Bana
たぶん,オーストラリア縦断の第2回 ← 第1回でした.
先日,太田のつぶやき英語で紹介されていました.

おとなの基礎英語

もう,英語を使う機会ってほとんどなくなってしまいました.「アマチュア無線で使わないのか」って話はいろいろめんどくさいので今回は省略します.

一番最後に海外に行ったのは,2013年末のシンガポール出張でした.あのときは,リハビリ的な意味もあって,往って,最低限の任務を果たして,無事帰国するっていうのが最大の課題で,いろいろその他的なことはなく,英語力のupにもあんまりプラスにならなかったと思います.

ちょうど1年前くらいから,表記の番組を見てます.女優の野村佑香が,マレーシアからシンガポールを仕事で取材旅行する話です.野村佑香の英語の加減が,うますぎず下手すぎずちょうどよくて,楽しく見ていました.マレーシアもシンガポールも何度も行っているので,興味が続きました.

4月からはオーストラリアシリーズとなり,これはまた見る意欲が増しました.出演している日本人俳優・タレントは,前半は海外で活躍しているらしい,宮沢氷魚,7月からは,異色のお笑い芸人である石井てる美です.宮沢は,ぺらぺらですが,ちょっと発音に癖がありました.

石井てる美は,TOEICが満点らしいですが,TOEICでは発音・イントネーションは測れません.しかし,発音も日本語ネイティブの人が到達する最高レベルの英語だと思います.

また,福田彩乃がいいです.ものまねの才能って語学学習に活かされるものだなとときどき感心します.

脚本も,細かいところではちょっとどうかなというところもありますが,全体によく作られています.

家賃の話で,一週間か二週間ごとに払うとありましたが,私が借りた一軒家は,月々払っていました.

おもしろいもので,rent(家賃)は,週いくらで決まっていて,不動産屋でも週額で表示しています(たいてい,きりの良い数字).

しかし,実際に払うのは月々です(4週間毎でもありません).2月も大の月も同じ額を払います.12か月払うと,毎週払ったのと同じ額になるような計算の仕方をするのだと記憶しています(ですから端数のある金額になります).これは,当時一軒家を借りていた他の日本人の皆さんも同じだと言っていました.

もっとも,私がシドニーで暮らしたのは1996年からの1年ちょっとで,20年も前の話ですから,いろいろ変わってきていることは多いので,家賃もそうなのかも知れません.また,戸建(house)とアパート(unit)では違うのかも知れません.

「基礎英語」ですから,文法的には高校1年くらいのレベルだと思いますが,気楽に見て,聞くにはちょうど良いと思います.興味を持ち続けさせてくれるおもしろさが良いです.

シドニーの借家

後生大事に,1996年〜1997年の滞在時の契約書やら銀行の明細書やらをファイルしてありました.それによると,ANZ Bankに口座を開設したのが,1996年3月15日,借り家の契約をしたのは,ちょうど20年前の1996年3月26日ということになっています.

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借り家が決まった経緯ですが,前任者の帰国に伴うアパートからの引っ越し作業に立ち会っているとき,携帯電話に連絡が入り,Gordonの37 McIntyre Streetの家はどうかという話でした.

たぶん,Chatswood, Lindfieldあたりでの戸建をあきらめて,前日あたりに,Gordon駅前商店街にある不動産屋何軒かに入り,周辺の家を紹介してもらうよう頼んだのでした.そのうちの1店で,今は担当者がいないからあとで電話するという話があり,あんまりあてにしていなかったんですが,電話がかかってきました.

それで,引っ越し作業が一段落して,家を見に行ったのだと思います.周辺にアパートはなく,戸建の家ばかり並んでいます.また,Chatswoodあたりに多くある,しゃれたtown houseは,当時はこのあたりにはありませんでした

古そうな家ですが,悪くないと思い,担当者に電話して中を見せてもらうことにしました(先ほどもらった電話でそういう約束になっていました).

来てくれたのは,Anthony Collinsという,明るい青年です.ただ,ちょっと天然系のようで^^; 名前をときどき間違えられたりしました.

床が多少きしむところもありましたが,1年ちょっと借りるだけなので,まあいいだろうということで決めました.大家さんは近所に住む女性で,この家は亡き親御さんの住んでいた家だということです.

Anthonyが所属する不動産屋(Century 21だったかな)は,後に賃貸部門を近所の同業者に譲渡します.このときAnthony君も一緒に移りました.もちろん不動産屋側の事情ですから,賃料その他の条件は変わらず,小切手の宛名だけが変わりました.

Century 21に払っていたときは店に行って,Anthony君か,別の職員に小切手を書いて渡していたと思うのですが,譲渡後は,不動産屋の取引銀行に小切手を持って行ったんだと記憶しています.

しかし,翌年の5月末に,帰国に伴う退去の手続きをしたときには,Anthony君はいませんでした.解雇されたんじゃないかと思います.しょうがないような,気の毒なような感じがしました.

上の写真は,2000年11月にシドニー旅行したときに撮った写真です.木々が住んでいたときよりも茂った感じですが,家に大きな変わりはありません.不動産屋の看板もなかったので,借りている人がいるようです.

ついでに,こちらは,長男が通った小学校で,2006年11月に撮りました.左側の校舎は長男が通っていた頃にはなく,右側の校舎も改装されていました.

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家を探している間に,見せてもらって覚えている家は,

  • Artarmonの坂の家.ここは周りの坂があまりにきついので,外観を見ただけでやめ.
  • West Lindfieldの家 けっこう気に入ったけど,交通の便が悪いのでやめ.韓国系のオーナー自身に中を見せてもらいました.
  • Lindfieldの家 とても気に入ったけど,賃料が高いのと,フローリングがきれいすぎて,子供たちが傷を付けるんではないかとの心配からやめ.

の3軒です.たぶん,Anthony君からあのタイミングで電話がなければ,West Lindfieldの家にしたんじゃないかと思います.

1年ちょっと住んだ総合評価として,やはり家が古くて,窓が開きにくいとか,南側の寝室の天井がかびる,風呂のお湯の容量が小さすぎるなどの問 題もありましたが,味のある家で^^; また,駅もショッピングセンターも徒歩圏内と便利でした

あとで,というか,住みながらシドニー在住の日本人の皆さんから得た情報としては,Turramurraなどもう少し北に行けば,新しく,きれいで広い家を同じ賃料で借りられたようです.シドニーの都心に通勤するわけではなかったので,その方が良かったのかも知れません.

しかし,37 McIntyre St.の家は,シドニーの思い出の中心にあります.

特に手伝うとかではなく,引っ越しの様子を見るのも勉強になると思って,立ち会っていたのだと思います.
オーストラリアではアパートの一区画は”unit”といいます.
2軒以上が連なる構造の家.
Google Earth, Street Viewで確認すると,住んでいた家の通りは,現在ではアパートが建ち並ぶようになっています.
1997年初?
1997年5月末
2階のベランダに見えるところが実は玄関なんですが,その手すりがきれいになっているように思います.
深夜電力で,地下にある湯沸かし槽の水を湧 かす構造のようですが,古い設計なのであまり容量が大きくなく,気をつけないと入浴中にお湯がなくなって水になってしまいました.
ただし,小学校は遠かったです.1度車が故障して,子供と歩いて行ってみましたが,片道1時間以上かかりました.

シドニーでの最初の写真

表題は厳密ではなくて,シドニーにはじめていったのは1983年で,その時写真を撮りましたし,1988年11月,1995年3月,1996年2月にも公私でシドニーを訪れて写真を撮っていますから,「1996年3月からの長期出張で最初にシドニーで撮った写真」ということになります.

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前述の様に,1996年3月10日に成田を発ち,翌11日にシドニーに着き,オフィスに行ったのはその日か,さらに翌日の12日だったのようです.この写真は,12日に与えられたデスクを記念に撮ったものです.日本から持ち込んだ,Macbookや時計,240V→100Vの変圧器などがあります.

私が派遣された組織は,私が帰国した1997年から程なくして,このオフィスから他に移りました.建物はまだあるようですが,当時の職員がまだ在籍しているとしても,ここを訪れてもいないわけです.

一番最初にしたのは携帯電話を買ったことです.とにかく独り身で,家探しをしなければいけないですから,必須用品ですね.国営から民営化されたTelstraの店に行ったら,パスポートを見せるだけで簡単に買うことができました

次に,個人の銀行口座を開いたんだと思います.ANZ Bankという大手銀行のLindfield支店です.職場の住所で簡単に開くことができました.

これらはどれもあっさり行きましたが,なかなか家が見つかりません.家族が来る4月に間に合うくらいの長期戦を覚悟しました.

ということで,とりあえず一週間ほど取った宿Killara Innが,あまり職場から近くなく,しかも,バスタブもないのに料金が高い,ということで,安いホテルはないか,秘書の人に相談して,Lane CoveのComfort Innに移りました.半地下で、湿気が抜けにくい部屋で,こちらもバスタブはありませんが,安いし,レストランが良いので気に入りました.

ただし,ここのレストランは,旅行ガイドブックなどによく書いてあるBYOレストランでした.で,家が決まった日かなんかに,ミックスグリルを注文して,ビールを飲もうと(普段は部屋でビールを飲んでいました)係の人に聞くと,ここはBYOレストランだからビールはないというのです.で,どうすれば良いか聞いたら,部屋の冷蔵庫から持ってくれば良いということで,なるほどと部屋に戻って缶ビールを取ってきたのでした.

バスタブが無いと辛いということは,1995年の出張の時に痛感しました.オーストラリアの私が泊まるようなランクのホテルは普通シャワーはあってもバスタブはありません.しかもシャワーヘッドが壁に固定されていて,上から落ちるお湯で体を全部洗わないといけません.一番困るのは,おしりです^^; 上から落ちてくるお湯だけではなかなか気持ちよく洗えません.

ということで,このときは日本から,携帯式のウォシュレットを持ち込んだんだったと思います.それはなかなかの正解だったと記憶しています.

思い出しはじめると止めどないです.

既出ですが,私の職場では1年以上は長期出張と呼んでいます.
20年前のセキュリティーが緩い時代とはいえ,たぶん,1年ちょっとの滞在VISAがあったから,買えたのだと思います.
最初は1Fか2Fの普通の部屋で,途中から値段の安い半地下の部屋に変わったのかもしれません.

渡豪20周年

1日遅れてしまいましたが,いや,出発は1996年3月10日で,シドニーに着いたのは翌朝だから良いのかな^^; オーストラリアへの1年3か月間の長期出張への旅立ちからまる20年が経ちました.

オーストラリアに20年いるわけではないので悪しからず^^;

どんな天気だったかなぁ.たぶん,空港からタクシーで,予約した宿のあるKillaraに向かったんじゃないかと思います.タクシーの運転手(本人も白人)が,前は,白人の女性と結婚していたけど,離婚して,最近アジア系の女性と再婚したという話をしていたんだと思います.

ただし,前年(1995年)の3月と,この年の2月にもシドニーに行ったので,この会話が行われたタクシーにこのとき乗ったものだったのかは,今となっては確認できません.

この日にこのタクシーに乗ったのだとすると,白い雲がたくさん浮かんでいましたが,天気は良かったと思います.

この頃は,タクシーの運転手もフレンドリーで,会話を楽しむことができました.このあと10年経ってからシドニーに行ったときは,乗車拒否はするは,英語はろくに通じないはで,タクシーに乗るのがちっとも楽しくなくなりました.

着いた翌日あたりから,1年ちょっとの間,客員研究員として滞在する研究機関に通い始めました.しかし,4月はじめに家族が来るのに備えて,家探しをするのが3月中の主な仕事となりました.

前任者たちは,Chatswoodから南に住んでいたので,それに習って,LindfieldとChatswood周辺で家探しを始めましたが,手頃な家賃の家はありませんでした.

大きな違いは,前任者たちはアパート住まいだったんですが,私は戸建を探したので,都心に近いLindfield以南では無理だったわけです.結果的にChatswoodやLindfieldより少し北のGordonに家を見つけました.16she-199704-09これは,1996年3月17日に,Narrabeenで撮ったということになっている写真です.まだ,この頃は,アナログカメラが普通でした.この頃はあまり写真は撮りませんでした.

そう言えば,この年にオーストラリアで急速に携帯電話が普及しました.日本での普及も全く同じ時期のようです.

私の職場では1年以上は長期出張と呼んでいます.他の会社の人にいうと,「1年は長期ではない」と笑われますが^^;
2006年11月.
シドニーの都心に近い方.
日本でもそうだったから.
日本でもそうでしたし,ホスト研究員たち地元の人たちからは,子供のいる一家はふつう戸建に住むというアドバイスがありました.
Google Earth, Mapなどと比較してみて,Narrabeenとみて矛盾はありません.