1996年4月1日

ちょうど20年前の今日は,妻と三人の幼い子供たちが,シドニーに向けて出発した日です.

私は既に,Anthony君の仲介で決めたGordonの家に一人で住み始めてましたが,船便で先に送った家財道具はまだまだ届かないとのことです.航空便で送り,倉庫止めにしてもらってあったごく一部の家財道具は既に運び込んであったと思います.

ベッドと車,冷蔵庫,ダイニングテーブルとイスなどは前任者から買って,それも搬入済みだったはずです

シーツや布団なども,Target等で調達済みだったかな^^; 最低限の生活はできる状態だったはずです.この頃写真を撮らなかったので,曖昧な記憶だけです.

4月2日の朝,Kingsford Smith Airport (シドニー空港)に迎えに行きました. 16she-199704-0816she-199704-06

1996年4月2日は,イースターで,年に2日しか休まないMcDonalds’も休みでした.家族とどこで昼食をとろうか,探し回った記憶はあるんですが,どこで食事を調達したか覚えていません^^;

前任者の引っ越しに立ち会ったのは,こられの品々の運搬を引っ越し業者に,依頼するのが一番重要な理由だったことを思い出しました.
火曜日だったようです.

渡豪20周年

1日遅れてしまいましたが,いや,出発は1996年3月10日で,シドニーに着いたのは翌朝だから良いのかな^^; オーストラリアへの1年3か月間の長期出張への旅立ちからまる20年が経ちました.

オーストラリアに20年いるわけではないので悪しからず^^;

どんな天気だったかなぁ.たぶん,空港からタクシーで,予約した宿のあるKillaraに向かったんじゃないかと思います.タクシーの運転手(本人も白人)が,前は,白人の女性と結婚していたけど,離婚して,最近アジア系の女性と再婚したという話をしていたんだと思います.

ただし,前年(1995年)の3月と,この年の2月にもシドニーに行ったので,この会話が行われたタクシーにこのとき乗ったものだったのかは,今となっては確認できません.

この日にこのタクシーに乗ったのだとすると,白い雲がたくさん浮かんでいましたが,天気は良かったと思います.

この頃は,タクシーの運転手もフレンドリーで,会話を楽しむことができました.このあと10年経ってからシドニーに行ったときは,乗車拒否はするは,英語はろくに通じないはで,タクシーに乗るのがちっとも楽しくなくなりました.

着いた翌日あたりから,1年ちょっとの間,客員研究員として滞在する研究機関に通い始めました.しかし,4月はじめに家族が来るのに備えて,家探しをするのが3月中の主な仕事となりました.

前任者たちは,Chatswoodから南に住んでいたので,それに習って,LindfieldとChatswood周辺で家探しを始めましたが,手頃な家賃の家はありませんでした.

大きな違いは,前任者たちはアパート住まいだったんですが,私は戸建を探したので,都心に近いLindfield以南では無理だったわけです.結果的にChatswoodやLindfieldより少し北のGordonに家を見つけました.16she-199704-09これは,1996年3月17日に,Narrabeenで撮ったということになっている写真です.まだ,この頃は,アナログカメラが普通でした.この頃はあまり写真は撮りませんでした.

そう言えば,この年にオーストラリアで急速に携帯電話が普及しました.日本での普及も全く同じ時期のようです.

私の職場では1年以上は長期出張と呼んでいます.他の会社の人にいうと,「1年は長期ではない」と笑われますが^^;
2006年11月.
シドニーの都心に近い方.
日本でもそうだったから.
日本でもそうでしたし,ホスト研究員たち地元の人たちからは,子供のいる一家はふつう戸建に住むというアドバイスがありました.
Google Earth, Mapなどと比較してみて,Narrabeenとみて矛盾はありません.