「良い天気」とは,花粉症の人が苦しみもだえる日のことである
昨日はまあまあ晴れました.今日はよく晴れて気温も上がっています.しかし,幸いなことに,当地での花粉の飛散はそれほどではないようです.
それでも,この二晩は,夜は鼻が少しつまり,のどに鼻が落ち,そのためのども少し荒れた感じになって,熟睡できていないように感じています.
その影響で日中は眠いです.
横断歩道での一時停止は善意ではなく義務 (Powered by WordPress)
昨日はまあまあ晴れました.今日はよく晴れて気温も上がっています.しかし,幸いなことに,当地での花粉の飛散はそれほどではないようです.
それでも,この二晩は,夜は鼻が少しつまり,のどに鼻が落ち,そのためのども少し荒れた感じになって,熟睡できていないように感じています.
その影響で日中は眠いです.
11日から昨日までの4日間は,寒くてときどき雨が降る天気で,花粉の飛散は低調,というかほとんどなくて助かりました.
しかし,今日は朝から晴れていて,はなこさんの観測でも,花粉が飛び始めているようです.当分暖かく晴れるということなので,寒かった4日間の分も合わせて大飛散するんじゃないかと思います.
最寄りのはなこさん観測データ
昼の時点で,かぜの初期症状のような,顔のほてりと軽い鼻づまり感があります.たぶん,花粉症の重い症状の前兆と,例年感じているものだと思います.
今年は9日がピークだったようですが,昨年も3月5日のピークのあと,21〜23日,28〜29日にもピークがあったので,まだまだ油断できません.
しかし,昨年はザイザル+エリザスの組み合わせが私にとって非常に効果的だったようで,その昨年の後半のピークの始まりである3月20日に不調の前兆を感じたけれど,その後,特に不調になった記載もないので,結果的には楽に過ごせたようです.
そういえば,この土日にはかなりの時間をかけて,Windows 8.1の無線用PCをWindows 10にupgradeする取り組みをしていたのでした.
最初のつまづきは,VMWare Toolsでした.そうそう,Windows 8.1の無線用PCは,実体のないVMWare Fusionで動く仮想マシンなのです.
VMWare Fusionで動く仮想のWindows 8.1を10にするには,Known Problemとしてupgradeのボタンを押しても,このPCはアップグレードできません,と出るのです.それについては,upgrade用のDVDイメージをダウンロードしてそのDVDを実行することで,問題なくupgrade手続きに入ることができます.
ところがどっこい,この手順でupgradeすると,解像度がSVGAに固定され,使い物になりません.
これもネット検索すれば解るのですが,VMWare Toolsを1回uninstallしてインストールし直すと解消するとのことです.
またしても,ところがどっこい,VMWare Toolsはuninstallできません.ネットで調べると,VMWareでも症状は把握しているけど原因不明・簡単な解決策なしで,レジストリーをどうのこうのせよとあります.
レジストリーをいじるくらいならと,保存してあったWindows 8.1のイメージをコピーし直してやりなおしです.52GBのイメージをコピーするのに40分くらいかかります^^;
で,今度は,Windows 8.1の状態でVMWare Toolsをuninstallしてから,Windows 10へのupgradeを開始します.Windows 10になってからVMWare Toolsをインストールすることで,解像度の問題は解決しました.
他にもトラブルがあり,結局6回くらいコピーをしました.SSDに300GB書き込んだわけで,書き込み寿命が1PBとすると,0.03%くらい寿命を縮めたということになりますが,まあたいしたことはないですね.
他のトラブルは,VMWare Fusionの設定で,仮想マシンをWindows 8.1から10に設定し直すタイミングを間違えて,起動不能になったのが1回です.
残りは,libusbに関わることです.これがWindows 10にしないと結論づけた問題でもあるのですが,QS1RをCW Skimmer, Skimmer Serverで使用するために不可欠な,libusb0とlibusbKがWindows 10では使えないのです(あくまで個人の感想です).
Windows 10にupgradeしてからインストールし直したり,Windows 8.1の時にuninstallし,10にしてからインストールして見たりと,40分かけてディスクイメージをコピーバックしては,いろいろ試してみたわけです.
残念!
ネット検索してもこのあたりの情報はほとんど見つからないです.
なお,実体のあるWindows 7機もあるのですが,こちらにもときどきQS1Rをつなぐので,Windows 10へのupgradeは見送ることにしました.
表題は厳密ではなくて,シドニーにはじめていったのは1983年で,その時写真を撮りましたし,1988年11月,1995年3月,1996年2月にも公私でシドニーを訪れて写真を撮っていますから,「1996年3月からの長期出張で最初にシドニーで撮った写真」ということになります.
前述の様に,1996年3月10日に成田を発ち,翌11日にシドニーに着き,オフィスに行ったのはその日か,さらに翌日の12日だったのようです.この写真は,12日に与えられたデスクを記念に撮ったものです.日本から持ち込んだ,Macbookや時計,240V→100Vの変圧器などがあります.
私が派遣された組織は,私が帰国した1997年から程なくして,このオフィスから他に移りました.建物はまだあるようですが,当時の職員がまだ在籍しているとしても,ここを訪れてもいないわけです.
一番最初にしたのは携帯電話を買ったことです.とにかく独り身で,家探しをしなければいけないですから,必須用品ですね.国営から民営化されたTelstraの店に行ったら,パスポートを見せるだけで簡単に買うことができました.
次に,個人の銀行口座を開いたんだと思います.ANZ Bankという大手銀行のLindfield支店です.職場の住所で簡単に開くことができました.
これらはどれもあっさり行きましたが,なかなか家が見つかりません.家族が来る4月に間に合うくらいの長期戦を覚悟しました.
ということで,とりあえず一週間ほど取った宿Killara Innが,あまり職場から近くなく,しかも,バスタブもないのに料金が高い,ということで,安いホテルはないか,秘書の人に相談して,Lane CoveのComfort Innに移りました.半地下で、湿気が抜けにくい部屋で,こちらもバスタブはありませんが,安いし,レストランが良いので気に入りました.
ただし,ここのレストランは,旅行ガイドブックなどによく書いてあるBYOレストランでした.で,家が決まった日かなんかに,ミックスグリルを注文して,ビールを飲もうと(普段は部屋でビールを飲んでいました)係の人に聞くと,ここはBYOレストランだからビールはないというのです.で,どうすれば良いか聞いたら,部屋の冷蔵庫から持ってくれば良いということで,なるほどと部屋に戻って缶ビールを取ってきたのでした.
バスタブが無いと辛いということは,1995年の出張の時に痛感しました.オーストラリアの私が泊まるようなランクのホテルは普通シャワーはあってもバスタブはありません.しかもシャワーヘッドが壁に固定されていて,上から落ちるお湯で体を全部洗わないといけません.一番困るのは,おしりです^^; 上から落ちてくるお湯だけではなかなか気持ちよく洗えません.
ということで,このときは日本から,携帯式のウォシュレットを持ち込んだんだったと思います.それはなかなかの正解だったと記憶しています.
思い出しはじめると止めどないです.
1日遅れてしまいましたが,いや,出発は1996年3月10日で,シドニーに着いたのは翌朝だから良いのかな^^; オーストラリアへの1年3か月間の長期出張への旅立ちからまる20年が経ちました.
オーストラリアに20年いるわけではないので悪しからず^^;
どんな天気だったかなぁ.たぶん,空港からタクシーで,予約した宿のあるKillaraに向かったんじゃないかと思います.タクシーの運転手(本人も白人)が,前は,白人の女性と結婚していたけど,離婚して,最近アジア系の女性と再婚したという話をしていたんだと思います.
ただし,前年(1995年)の3月と,この年の2月にもシドニーに行ったので,この会話が行われたタクシーにこのとき乗ったものだったのかは,今となっては確認できません.
この日にこのタクシーに乗ったのだとすると,白い雲がたくさん浮かんでいましたが,天気は良かったと思います.
この頃は,タクシーの運転手もフレンドリーで,会話を楽しむことができました.このあと10年経ってからシドニーに行ったときは,乗車拒否はするは,英語はろくに通じないはで,タクシーに乗るのがちっとも楽しくなくなりました.
着いた翌日あたりから,1年ちょっとの間,客員研究員として滞在する研究機関に通い始めました.しかし,4月はじめに家族が来るのに備えて,家探しをするのが3月中の主な仕事となりました.
前任者たちは,Chatswoodから南に住んでいたので,それに習って,LindfieldとChatswood周辺で家探しを始めましたが,手頃な家賃の家はありませんでした.
大きな違いは,前任者たちはアパート住まいだったんですが,私は戸建を探したので,都心に近いLindfield以南では無理だったわけです.結果的にChatswoodやLindfieldより少し北のGordonに家を見つけました.これは,1996年3月17日に,Narrabeenで撮ったということになっている写真です.まだ,この頃は,アナログカメラが普通でした.この頃はあまり写真は撮りませんでした.
そう言えば,この年にオーストラリアで急速に携帯電話が普及しました.日本での普及も全く同じ時期のようです.