久しぶりに一冊の本を読了しました😓 カウンセリングの第一人者である河合隼雄の講演というか,数十人規模の受講者に対する実践的な演習を文字化・編集したものです.当然ながら全部が口語で読みやすいです.
ずいぶん古い話だなと思われる部分もありましたが,本質的な部分は変わりなく,現在に通用すると思います.
自分でカウンセリングをするつもりはありませんが,ちょっとしたきっかけがあってカウンセリングとはどんなものか知るために読んでみました.その目的のためには十分だったと思います.
横断歩道での一時停止は善意ではなく義務 (Powered by WordPress)
日本の多くの宗教団体って,目に見える形で,日常的・継続的・直接的に,困窮者を支援していないなあ,というのが,オーストラリアに暮らしたときの気付きのひとつです.
あちらでは,キリスト教会が困窮者支援をしていることは,ちょっと暮らしただけで見えてきます.また,生活に困窮していないまでも,制度からもれた人たち,たとえば対象となる制度がないため英語学習を受けられず,社会から疎外されがちな海外からの移住者に対する英語の無料レッスンなども行っています.いろいろな状況で困った人たちを直接的に救済しているという印象です.
もちろん,日本でも経済的困窮者を初めとする社会的弱者を支援している宗教団体はあると思いますが,日常生活を送っていて見えてくることはまれです.
日本の仏教のシンボルである奈良の大仏(東大寺盧舎那仏)の建立は,ざっと調べれば,疫病(天然痘)が流行して,干ばつや大地震があったという状況下とわかります.日本史が苦手だった筆者でもそう習った記憶があります.どう考えても大きな銅像を造っている場合じゃない状況下だったでしょう.
人々が疫病に苦しんでいる中,疫病退散と人類の平和のために,病気治療や困窮者の救済とは直接とは関係ない巨大プロジェクトを行った.建立された盧舎那仏は人類にとってかけがえのない遺産となりました.当時の人々にとっても心の救いとなったかもしれませんが,それで良かったのでしょうか.
そんなことを考えていると,なんか今回のオリンピック開催と重なって見えてきました.疫病に打ち勝った証(あかし),人類の平和のため😓
奈良時代の日本人のメンタリティーと現在人とが共通しているとは思えないですが,仏教的な何かがバックボーンになっているのかななどと,雨が降ってすることもない中考えました.
言わずもがなの大橋悠依選手の2つ目の金メダルの200m個人メドレー決勝の実況中継です。
もうちょっと抑えてやってもらえないと、見てる方が引いちゃいますよ。あなたは仕事で給料もらって、その上で1番見やすいところで見てるんだから、少しはわきまえてテレビ観戦してる視聴者の身になってほしいです、テレ朝の局アナさん。
堀米雄斗選手の金メダル獲得は実に素晴らしかったです.
これまでスケートボードの競技は見たことなかったんですが,というか少なくとも地上波でじっくり放送したものはほとんどなかったと思いますが,それをじっくり放送してくれたNHKはたいしたもんだと思います.
一方,堀米選手の母校(高校)の校長が「在学中はいるかいないかわからないような生徒だった」という趣旨のことを言ってました。
この言葉に大きな日本の教育の根本的な問題が凝縮されてるように思いました.目立たない子は教育者はほったらかしで本当に才能があってもそれに気づくことがない.目立つ子ばっかり相手にするからです.
才能があるのは目立つ子も目立たないかも同じだと思います.しかし,そのうちの半分は見捨てているわけです.もちろん堀米選手ほどの強い意志と才能があれば教育者の出番はないですが,多くのおとなしい子は,せっかくもっている才能について本人を含む誰もが気付かず開花しないまま終わっているっていることが多いのではないでしょうか.
目だつ子だけ相手にするっていうのは,一人の教師に対する生徒数が多いからとは言え,教育者として受け身に終始しているということで,それが日本全体的な傾向ですから,日本の教育の敗北のひとつの原因なんじゃないでしょうか.
海外の選手の多くがAirPodsを付けたまま競技していて,スマホも身につけたままのようです(何度か出し入れするシーンがありました).競技中は頻繁に激しく転んでいましたし,練習中は転倒の連続でしょう.高額の賞金を稼いでいるからスマホくらいいくら壊しても良いのかも知れませんが,その度に初期設定やデータの移行をするのはめんどうなんじゃないかと思いました.
堀米選手は高校卒業後アメリカに移り,賞金で家まで購入したのは,事前に何かの番組で知っていましたが,スマホを持ったり,入れ墨入れたり鼻にピアスしている海外の選手たちに交じって活躍する中で,日本の真面目な青年を通しているのも立派だと思います.
もとは同じだと思うのですが,2つのGentooの仮想マシンがあります.一つは多分メインのWSとしての可能性を調べるために実マシンにインストールして,その後メインとしてもサブとしてもWSとしては使えないという判断をしたものの,いつか実マシンに復帰させる可能性を残して,仮想マシンに移行させたイメージです.
もう一つは,もともとあった古いGentooの仮想マシンをup to dateにするのは不可能と判断して,前述のWSとしての実用性をテストしている実マシンから,VMWare Fusionの仮想マシンに移行して,さらにLinuxのKVMにコンバートして,元々あった古い仮想マシンの後釜に据えたものです.
Gentooのメンテは実マシン・仮想マシンにかかわらず,基本的に週にそれぞれ数回パッケージのデータベースを配布元にシンクロして,その後updateコマンドをかけるのですが,基本はソースからbuildするのでものすごく時間がかかります.時間がかかるだけなら,放っておけばいいのですが,ときどき,なんか警告が出て,よくわからない注意書きを読まされ,設定の変更を要求されます.これがただ残しておくだけが目的の仮想マシンに行うのはめんどくさいです.たぶん,してはいけないほうの判断を時々したと思います.
そんなわけで,いろいろ重荷なのに,仮想マシンで動かしても,「動く」という以外全く意義がないので,update作業はやめることにしました.
ディスクイメージはとっておくことにしますが,まあ,将来的に使うこともないでしょう.