自己責任論は日本を滅ぼす (自己責任論3)

頭がすっきりしているうちに書き留める第3段では,自己責任論について思いを書いてみようと思います.下調べのため「自己責任論は日本を滅ぼす」でGoogle検索すると,多数のヒットがありました.同じような考えの人が多いようで少しは安心です.

検索して他の人の文章を読んでいるうちに気がついたのは,自己責任論者というのは,実は自分ではない他人の「自己責任」の追求ばかりしていると言うことです.自己責任論者というより,むしろ,他者責任論者のほうが的確です.

著名な自己責任論者何人かはいざ大きな責任が自分にのしかかってきたとき,潔く自己で責任を取ることをせず,他者(あるいは公)に頼り,見苦しい言い訳をしていたのを思い出します.

自己責任論者の態度はまさに自己中心的であり「不寛容」です.

不寛容は,格差,差別など今日の世界が抱える大きな問題の根源です.民主主義やSDGsの遂行にも障害となります.

「納税は議員の判断」

これは今年の一番の迷言になるのではないかと思います.

言うまでもなく納税は国民の三大義務の一つです.つまり「納税は国民の義務」です.

議員は,市町村会議員だろうが都道府県会議員だろうが国会議員だろうが(それぞれのセクションの)国民の代表ですから国民であるに違いありません.

「議員(個人)の判断」は,「自由」,「任意」あるいは「権利」などと言い換えられると思います.「義務」の反意語です.

そんなわけで,「国民(である議員)の納税が『自由』」などとは話になりません.

財務省は常々新たな政策に財源はどうするとか,財政規律を口やかましく言うのにそこのトップが納税は任意だなんてことを言うとは呆れてものが言えません.

ちなみに,「確定申告ボイコット」なんていう動きがあるようですが,源泉徴収で取られすぎた分を取り返すために確定申告しなけりゃならないので乗れません.

幼児の虐待死事件に心痛む

本当にいつまでたっても後を立たない幼児の虐待死です。

昨日と今日は4歳の女の子が実の親たちに有毒物質を飲まされて殺害された事件、母親と交際相手に5歳の女の子が冷水をかけられて死亡した事件が報じられていました。いずれも普段から虐待されていたようです。概要を聞くだけでも本当に辛いです。

4歳、5歳と言ったら1番可愛い盛りです。

せめて亡くなった女の子たちが天国で楽しく暮らせたらと思うくらいしかできません。

親を扶養する義務

子供の頃から親を子が扶養するなんておかしな話だと思っていました.日本では民法でそう決まっているようですが,そのことを習うのは小学校高学年だったでしょうか,中学に入ってからでしょうか.

親が子を扶養するのは当たり前で,法律で決まってなかったとしても自然の摂理です.反対に自然の摂理で親を扶養する動物がいるでしょうか.

また高齢者の多くが「子に迷惑をかけたくない」と口にするのも,子が親を扶養することの不条理さを感じているからだと思います

親を扶養しなければならないとなると,自分の子も親も扶養することになり,経済的にゆとりのない層が増えている現状ではかなり厳しい話です.また,子がない人はどうしろっていうんでしょう.

扶養されることが必要と想定される人は,それまで社会や経済に貢献してきたわけですから,扶養の義務は第一に国にあります.

もちろん親が好きで経済的にも時間的にも体力的にも余裕がある人は面倒を見ればいいですが,今どき親の面倒を見る頃には経済的にも肉体的にも余力がないことのほうが多いですから,共倒れになることは目に見えています.全く現実的でないです.

筆者自身も全く同じ気持ちです.

誰も納得行かないのに検察国税は納得しているのか

裏金問題です.

原価率の低いおいしい営利活動をして,売上の目標金額を超えた額はどこにも記録しないで納税もせずあるものは机の引き出しに,あるものは銀行口座に入金して保管したそうです.

これ普通の人だったらかなり厳しく責任を追求されましたよね.たとえば,大物プロデューサーだったり,著名中国料理店経営者等々.

手口も金額もわかっているのに何のお咎めなしって,桃太郎侍や破れ奉行に叩き切ってもらいたいものです.悪事を働いている者たちもそれを見逃している役人たちも.