シドニーの借家

後生大事に,1996年〜1997年の滞在時の契約書やら銀行の明細書やらをファイルしてありました.それによると,ANZ Bankに口座を開設したのが,1996年3月15日,借り家の契約をしたのは,ちょうど20年前の1996年3月26日ということになっています.

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借り家が決まった経緯ですが,前任者の帰国に伴うアパートからの引っ越し作業に立ち会っているとき,携帯電話に連絡が入り,Gordonの37 McIntyre Streetの家はどうかという話でした.

たぶん,Chatswood, Lindfieldあたりでの戸建をあきらめて,前日あたりに,Gordon駅前商店街にある不動産屋何軒かに入り,周辺の家を紹介してもらうよう頼んだのでした.そのうちの1店で,今は担当者がいないからあとで電話するという話があり,あんまりあてにしていなかったんですが,電話がかかってきました.

それで,引っ越し作業が一段落して,家を見に行ったのだと思います.周辺にアパートはなく,戸建の家ばかり並んでいます.また,Chatswoodあたりに多くある,しゃれたtown houseは,当時はこのあたりにはありませんでした

古そうな家ですが,悪くないと思い,担当者に電話して中を見せてもらうことにしました(先ほどもらった電話でそういう約束になっていました).

来てくれたのは,Anthony Collinsという,明るい青年です.ただ,ちょっと天然系のようで^^; 名前をときどき間違えられたりしました.

床が多少きしむところもありましたが,1年ちょっと借りるだけなので,まあいいだろうということで決めました.大家さんは近所に住む女性で,この家は亡き親御さんの住んでいた家だということです.

Anthonyが所属する不動産屋(Century 21だったかな)は,後に賃貸部門を近所の同業者に譲渡します.このときAnthony君も一緒に移りました.もちろん不動産屋側の事情ですから,賃料その他の条件は変わらず,小切手の宛名だけが変わりました.

Century 21に払っていたときは店に行って,Anthony君か,別の職員に小切手を書いて渡していたと思うのですが,譲渡後は,不動産屋の取引銀行に小切手を持って行ったんだと記憶しています.

しかし,翌年の5月末に,帰国に伴う退去の手続きをしたときには,Anthony君はいませんでした.解雇されたんじゃないかと思います.しょうがないような,気の毒なような感じがしました.

上の写真は,2000年11月にシドニー旅行したときに撮った写真です.木々が住んでいたときよりも茂った感じですが,家に大きな変わりはありません.不動産屋の看板もなかったので,借りている人がいるようです.

ついでに,こちらは,長男が通った小学校で,2006年11月に撮りました.左側の校舎は長男が通っていた頃にはなく,右側の校舎も改装されていました.

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家を探している間に,見せてもらって覚えている家は,

  • Artarmonの坂の家.ここは周りの坂があまりにきついので,外観を見ただけでやめ.
  • West Lindfieldの家 けっこう気に入ったけど,交通の便が悪いのでやめ.韓国系のオーナー自身に中を見せてもらいました.
  • Lindfieldの家 とても気に入ったけど,賃料が高いのと,フローリングがきれいすぎて,子供たちが傷を付けるんではないかとの心配からやめ.

の3軒です.たぶん,Anthony君からあのタイミングで電話がなければ,West Lindfieldの家にしたんじゃないかと思います.

1年ちょっと住んだ総合評価として,やはり家が古くて,窓が開きにくいとか,南側の寝室の天井がかびる,風呂のお湯の容量が小さすぎるなどの問 題もありましたが,味のある家で^^; また,駅もショッピングセンターも徒歩圏内と便利でした

あとで,というか,住みながらシドニー在住の日本人の皆さんから得た情報としては,Turramurraなどもう少し北に行けば,新しく,きれいで広い家を同じ賃料で借りられたようです.シドニーの都心に通勤するわけではなかったので,その方が良かったのかも知れません.

しかし,37 McIntyre St.の家は,シドニーの思い出の中心にあります.

Notes:
1. 特に手伝うとかではなく,引っ越しの様子を見るのも勉強になると思って,立ち会っていたのだと思います.
2. オーストラリアではアパートの一区画は”unit”といいます.
3. 2軒以上が連なる構造の家.
4. Google Earth, Street Viewで確認すると,住んでいた家の通りは,現在ではアパートが建ち並ぶようになっています.
5. 1997年初?
6. 1997年5月末
7. 2階のベランダに見えるところが実は玄関なんですが,その手すりがきれいになっているように思います.
8. 深夜電力で,地下にある湯沸かし槽の水を湧 かす構造のようですが,古い設計なのであまり容量が大きくなく,気をつけないと入浴中にお湯がなくなって水になってしまいました.
9. ただし,小学校は遠かったです.1度車が故障して,子供と歩いて行ってみましたが,片道1時間以上かかりました.
特に手伝うとかではなく,引っ越しの様子を見るのも勉強になると思って,立ち会っていたのだと思います.
オーストラリアではアパートの一区画は”unit”といいます.
2軒以上が連なる構造の家.
Google Earth, Street Viewで確認すると,住んでいた家の通りは,現在ではアパートが建ち並ぶようになっています.
1997年初?
1997年5月末
2階のベランダに見えるところが実は玄関なんですが,その手すりがきれいになっているように思います.
深夜電力で,地下にある湯沸かし槽の水を湧 かす構造のようですが,古い設計なのであまり容量が大きくなく,気をつけないと入浴中にお湯がなくなって水になってしまいました.
ただし,小学校は遠かったです.1度車が故障して,子供と歩いて行ってみましたが,片道1時間以上かかりました.