Netatalk+Time Machineは2勝1敗に

遅まきのCatalinaへのupgrade問題からはそれますが,既にCatalinaにupgrade済みの家族用WS (以下 “FWS” )からも,Linux ARMのファイルサーバーにつなげた3TBにTime Machineによるバックアップを試みたところ,全く問題なく初回,その後の差分数回も成功しています.ということで,この組み合わせは2勝1敗となりました.

Macbookからだけだと,3TBは使い切れないので,冗長性を増やすという意味合いで,FWSからのバックアップは,テストにとどめずこのまま継続することにします.

ちなみに,このFWSはかなり古いMac miniで,Catalinaまではupgradeできましたが,Big Surへのupgradeボタンが表示されませんので,サポート打ち切りのようです.

2-coreのCore i7.

しばらくSNSから離れます

SNSは良い面も悪い面あるんですが,まあ,どちらかというとプラスなので使ってきました.しかし,Twitterは日本支社の運営がひどすぎるので何年か前に投稿するのをやめました

前からそうなんですが,SNSはどこも選挙が近づくと,9月の100分で名著で紹介された「群集心理」の「群衆」そのものが数を増して,居心地が悪くなります.

今回も,だんだん居心地の悪さを感じてきたので,Twitter以外のSNSからもしばらく離れることにします.アカウントが乗っ取られて気がつかないというのは問題なので,ときどきはログインしますが.

アカウントを維持するために,ときどきログインしていますが.

ようやくCatalinaに(3) 〜Netatalk+Time Machineは1勝1敗〜

Linux ARMのサーバーに3TBのドライブをつなぎ,Netatalk(afp)でTime Machine用のNASにして,Macbookからバックアップをかけたら,初回,その後の追加バックアップも問題なく実行できるようになりました.

さらに検証のため,メインWorkstationであるMac mini core i7からもバックアップを仕掛けたら,初回の途中でエラーとなり(開始からまる2日くらい経った頃😓),その後続きのバックアップを何度となくしてもエラーになって継続できませんでした.

ということで,Linux ARMのサーバーにつないだ大容量ドライブをTime Machine用NASとして使った場合1勝1敗の結果となりました.

本来のバックアップ対象であるMacbookのほうは問題なくバックアップが継続できているので,良しとします,

ようやくCatalinaに(2) 〜Time Machineは構成変更〜

前回,メインのWorkstation (Mac mini core-i5以下旧WS)をCatalinaにした時,旧WSにつないだ外付けドライブをMacbookからのTime Machine用のドライブに使えなくなった(WSがMojaveまでは問題なく使えていた)のが,WSをMojaveに戻した大きな理由のひとつでした.

今回も現行のメインWorkstation(WS)につないだドライブをMacbook (こちらは既にCatalina) からafpでつなぐと,これまでTime Machine用に見えていたドライブ(2.5″ HDD 3TB)がマウントできません(マウントの候補として見えてこない).Formatし直して試しましたが,やはりそれでもマウントの候補になりません.

しからばとsmbでつないでみると,初回のバックアップはできます(要まる1日)が,追加のバックアップでドライブに接続できないとかなんか文句を言って,使えなくなりました(記憶では,追加の1回目はできたと思いますが,2回目ができませんでした).

たぶんこれらは,旧WSをCatalinaにした時経験したことそのまんまだと思います.

Macbookにドライブをつなぐことも考えましたが,ドック経由でつながなければならないので,ノートパソコンの簡便性がなくなってしまいます.

そこで,思い出して,Slackware ARMのサーバーにその3TBをつないで,Netatalk経由でマウントしてバックアップを試みたところ,何の問題もなくできました(ext4のformatに半日かかりましたが😓).

これで当分行きます.

ノーベル

先日,ノーベル賞を遺言によって設立したアルフレッド・ノーベルの生涯についてEテレで45分間の番組をやっていました(フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿).ノーベルの人柄とか人生についてはあまりというか全く知らなかったので,興味深く見ました.

ノーベルがダイナマイトを発明して得た富をもとにノーベル賞を始めたのはさすがに知っていますが,どうしてそういうことになったのか.

ノーベルが発明したダイナマイトが,兵器として使われ,それに心を痛めて平和のためにノーベル賞を創立した,くらいに考えていましたが,とんでもない誤解でした.むしろノーベルは,「死の商人」というか,死の商人中の死の商人ともいえるほど,積極的に兵器(爆発物)を開発し,各国に売り込んでいました.

しかし晩年に,平和運動家であり初恋の人ともいえる女性の影響を強く受けて,ノーベル賞の設立,中でも「平和賞」の設立を遺言として残したというのが正解のようです.