Railway Story オーストラリア編

数日前,いつも朝は早いのですが,さらに早く目覚めたので時間つぶしにビデオを見ました.このときはどういうわけか気が向いて録りだめてあった(=録るには録ったけど見る気がしなかった) “G’Dayオーストラリア” の現在までの放送分全部と,Railway Storyのオーストラリア編を見ました.

Railway StoryはWOWOW制作で,Wikipediaを見ると,オーストラリア編は多数あるようですが,録ってあったのはその中の “オーストラリアの大地を行く” のPart 1, 2です.たぶんMX-TVの放送で1年くらい前に録っておいたのだと思います.

Part 1ではシドニーからKatoombaまで普通の通勤型電車で行き,Blue Mountains の観光地をざっと紹介した後に,Zig Zag Railwayを紹介します.

Blue Mountainsは1997年3月に,自宅のあるGordonから自家用車で行きました .一泊二日で, Leura House というゲストハウスに泊まりました.

お約束のThree Sisters (1997年3月撮影)
2006年11月に上空から撮影したBlue Mounains.この年のオーストラリアは山火事がひどく,複数箇所から白い煙が上がっている.

番組の話に戻りますが,冒頭のダイジェストにQueensland Rail (QR)の車両が出たのでアサートン台地のQRの観光路線を紹介するのかと思ったら,なんとZig Zag RailwayにQRの車両をこの番組の取材時(初回の放送が2012年だったらしいのでその数年前でしょう)には使用していたようです.

Zig Zag Railwayの詳細はWikipedia等に詳しく書いてありますが,かつてSydneyから西へ延びる鉄道が高原に上がるために敷設したスイッチバックのある文字通りのジグザグな鉄道です.後にスイッチバックなしに高原に上がる路線ができたので廃線となりましたが,さらにその後ボランティアたちが復興させて現在も運営を続けている観光鉄道です.

1997年当時Zig Zag Railwayについては何も事前の知識無しにたまたま高原をモータースポーツで有名なBathurst方面にドライブしていたら見つけて利用したのでした.たまたまなのか,当時はいつもなのか解りませんが,SLによる運行で非常に貴重な体験ができました.しかし,トンネルに入ると煙もともかく真っ黒な石炭の粉塵が車内に入ってきて,これは廃れるべくして廃れたなと実感したものです.途中で持参していた8mmビデオカメラが故障してしまいました.タイミングがタイミングなので,SLの煙や粉塵によると思いますが,今となっては解りません.

Zig Zag RailwayのSL (1997年3月)

また番組に戻りますが,番組ではSLについては一切触れず,QRの年季の入ったディーゼル列車での運行でした.1987年にケアンズ周辺を観光して,鉄道でAtherton高原の入り口である今では日本でも観光地として有名なKurandaに行きました.当時は高原に観光用でない通勤通学生活用鉄道が走っていて,Kuranda駅で発車待ちの列車を見た記憶があります.それがこの番組で紹介されたQRのディーゼル列車と同じ型であったようななかったような,鉄ちゃんではないので今となっては何ともはっきりしたことは言えません😓 いずれにしてもQRの古い列車を見ると懐かしい気持ちが呼び起こされます.

QRの列車についてはもうひとつ因縁があります😓 1998年に家族旅行する前にたまたまNHKで見た Undara Lava Tubeの番組に関心を持ちツアーに参加しようと検討して,実際に観光施設に問い合わせも入れたのですが,残念ながら幼少の子供たちを連れていくのは無理と判断して訪問をあきらめたのでした.そのツアーの目玉のひとつが The Sabannahlanderという大自然の中を走る鉄道の旅です.Undara Lava Tube一帯はQueensland州の奥地で,列車もQRのものでした(実際にQRが運行しているのかどうかは解りません).

そうしたQRの車両について一言も触れなかったところを見ると,Railway Storyの取材班は素人集団のようだと思いましたが,思い入れがあるのは私の勝手なのでしょうがないですね.

しかし,アデレードとダーウィンを結ぶThe Ghanの旅を紹介したPart 2では,な,なんと,終着駅のDarwinに到着するシーンがなかったのです.これは鉄道だけでなく番組作りについても素人なんじゃないかと思わせるほどの大失態でした.

Part 1に戻りますが,Katoombaから西に進むのではなく一旦シドニーのSydney Central Stationに戻り,周囲を紹介します.取り上げたのは由緒ある教会でしたが,それよりちらっと映った駅前にあるUniversity of Technology Sydney (UTS)のほうが目にとまりました.2006年11月に「業務」で訪問したのでした.そして,シドニー在住時大変お世話になったご家族のお嬢さんの出身校でもあります.

ちなみにこの大学は,Times Higher EducationのWorld University Rankings 2023で133位と,日本のたいていの大学(東大・京大以外全部😓)よりずっと上のランクです.

2006年に訪問したUTSの本部と思われる建物.どうもこの頃使っていたカメラ(いわゆるコンデジ)が良くなくて,雰囲気が解る写真はみんなピンボケなので,やむなく建物の外観の写真を掲げます.

さて番組では特急列車に乗ってメルボルン(Melbourne) に行きました.メルボルンには残念ながらそれほど縁がなく,2回訪問しただけです.2006年11月のシドニーの業務の続きでメルボルンを訪問した時は,番組で紹介された Southern Cross Station の徒歩圏内のホテルに泊まりましたから,それだけでも懐かしく感じました.

Southern Cross駅 (2006年11月撮影)
1983年に訪れたMelbourne郊外の名所Como House and Garden

そして,Adelaide に行きます.Adelaide も訪問回数は都合3回に過ぎませんが,友人のJohn一家によくしてもらって,いろいろ思い出深いです.

番組で紹介された中では特にCentral Marketが2000年に訪問したときそのままの雰囲気でした.

Adelaide Central Market (2000年11月)

Part 2はアデレードからThe Ghanに乗り,Alice SpringsKatherineで途中下車をして街や周辺の観光を紹介します.Alice Springsには1983年と1987年の観光旅行で訪れました.当時よりは派手になった印象です.

Royal Flying Doctor Serviceの歴史的建物.

The GhanはAlice Springs,Katherineを経て終着のDarwinに向かいます.KatherineとDarwinにはいったことがなくいつか行ってみたいと思っています.Katherineの観光の紹介はありましたが,なんとDarwin駅にはRailway StoryのThe Ghanは到着せず,当然街の紹介もなしに終わりました.なんとも残念この上ないです.

詳しくは覚えていないのですが1987年にシドニーのホテルから日帰りのバスツアーでも訪れたはずです.
リンク先は同じ場所の同じ施設ですが,利用した当時と経営・運営が同じかどうかは解りません.
日本語表記では「キュランダ」が多いですが,個人的には現地の人からは「クランダ」と聞いた記憶しかありません.多分「キュランダ」は綴りの中でも“u”は例外なく“you”と発音するアメリカ系の発音なんじゃないでしょうか.知らんけど.
たぶん昨年亡くなった渡辺徹がナレーションをしている「地球ドラマチック」.あとで確認します.
リンク先の写真を見る限り,Sabannahlanderの車両とZig Zag Railwayの車両はエンブレムが異なります.
友人はいて,長男が高校時代2週間泊めてもらいました.

kernel_sarpi4-6.1.7-armv7l-1_slack15.0_23Jan23_sp1.txz may be broken, too

kernel_sarpi4-6.1.7-armv7l-1_slack15.0_23Jan23_sp1.txzと関連ファイルがSARPiのサイトにありましたのでupdateしてみました.6.1.3ではシステムが不安定になってしまったので,6.0.14に戻して動かしていました.

6.1.7でとりあえず起動はしました.6.1.3のときのようにKernel panicやネットの不具合が起きなければ良いのですが.

これも壊れているかも(2023/1/26追記)

朝起きたら,システムが無応答になっていました.コンソール(CUI)からユーザー名は入りますが,パスワード+改行で無応答になり,Control+Alt+Delも効かず電源リセットしました.ブートはするので,さっさと安定性が確認されている6.0.14に戻しました.

孝行のしたい時分に親はなし

僕が一番嫌いな故事のひとつです.もとは川柳らしいです.となると,今日主に用いられている押しつけがましい用法を作者は想定してなかったでしょう.恩なんてものは押し付けたり,そうしたことをするように人にいうようなものじゃありません.原作者に成り代わって恩の押し売りをする人に「孝行をしたくないのに親がいる」と言ってやりたいです.

自分が親になって思うのは,子供なんて生きていてくれれば十分孝行です.経済的に自立してくれたり,自分の家族を持ったりしたら孝行この上なしです.

それをさらになんだかんだ親(の側の立場)から注文付けて孝行しろとは厚かましいにもほどがあります.

コケ泥棒か

以前NHKの「所さん!大変ですよ」で,コケを勝手に掘って持って行ってしまうコケ泥棒が取り上げられていました.

それより少し前になりますが,職場の木の周辺に掘ったような跡があるのを何か所か目にした記憶があります.

そして一昨日ですが,近所の公園を歩いていると,やはり木の周辺に,人為的に掘ったような跡を見つけました.

かつて職場で見た掘り跡と今回の掘り跡の共通点は,

  • 木は比較的大きく余り日当たりの良くないところに生えている
  • 掘り跡は掘ったというより表面近くだけ削った感じ
  • どちらかというと木から同心円状に掘っている
  • 周囲の似たような木の周辺を見るとコケが少しあったりする

といったところでしょうか.削った場所に立派なコケが生えていたかどうかは,もともとコケには関心がなかったので解りません.

今度公園などにコケが生えていたら,写真を撮っておくことにします.

湿疹今度こそ快方へ

昨年夏に胴体にかなりひどい湿疹が出て,その後少し良くなったと思うとまたひどくなるのを繰り返してきました.

昨年の9月から皮膚科に通い,かなり強いステロイドの塗り薬を処方してもらって医師の指導通りに塗布すると,今まで出ていた湿疹はだんだん良くなるのですが,安心した頃にまた別の場所にひどい湿疹が出る,というのを半年近く繰り返してきました.

さすがにここまで長引くには何か “しっかりした” 原因があるのだろうと自分でも考えました.わりと最近では大晦日には昼にアジフライを食べ,夕食は年越しソバとして,エビ天などを乗せたソバを食べたところ,翌日(正月😓)にかなりひどい湿疹が出たので,これらの食品を疑いました.

2022年〜2023年の年越しソバ

しかし,年末年始休暇の終わった皮膚科クリニックに行って医師と話をしたところ,この湿疹はたぶん食べ物によるものではないといわれました.

湿疹が出るのは胴体の上半身で,特に左右の肩甲骨回りと左右の脇腹から背中にかけてのあたりです.それと心当たりとしては就寝中,下のマットレスと密着して寝汗をかくところがヒリヒリすることがあります.

と考えると,これは原因は下着ではないかということに(ようやく😓)気がつきました.8年前に湿疹が出たとき,当時通った皮膚科クリニックの医師からは下着は夏でも綿100%の袖のあるものにするよう言われ以後守っています.綿100%ですから,一番刺激が少ないはずです.

生地自体に問題がないとなると何か付着しているのかもしれない.最近飼い始めた犬に関係するかと思いましたが,湿疹が出始めたのは8月で,ワンコがわが家に来たのは11月始めなのでシロです

他に何か,と考えて洗濯時に洗剤が落ちていないのではないかと気がつきました.

洗濯機による洗濯が終わってから下着を洗面器のぬるま湯に浸けて押し洗いするとぬるま湯がかなり白く濁ります.単に繊維の間の空気が細かい気泡となって出ている分もあると思いますが洗剤の成分があることも疑われます.

一週間ほど前から,洗濯が終わってから下着だけ手ですすぎ洗いをすることにしていますが,新しい湿疹は出ていません

わが家の洗濯機はまだ不調になるほど古くないと思っていましたが,調べてみると購入から7年が経っていました.そろそろ買い換えを考えないといけないかもです.

それは先送りにして😓,当分は洗濯の後下着だけ手ですすぐのを続けてみます

ソバもアジフライも好物です.
冬でも半袖ですが.
犬はゴールデンですが😓
細かい独立したのはたまに出ますがそれはしょうがないです.
ざっとネット検索するだけで,すすぎの不十分が肌トラブルの原因になるというページが山ほど見つかります.