「新しい戦前」

タモリが2022年末に徹子の部屋に出演し,2023年は「新しい戦前になる」と発言して話題になりました.それから2年半経ちました.

自民党内の軍備を増強したい(=戦争したい)人たちは昔からいたわけで,一貫して防衛費は増え続けています.ただタモリの発言の当時は何か目だった大きな動きがあるとは思っていませんでした.

ところが,今年の参院選で極右ポピュリズム政党参政党が躍進し,各種世論調査による支持率も野党でトップになる状況になっています.

過去の戦争,特に第二次世界大戦を振り返るのにいろいろな見方がありますが,貧富の差が拡大 → ポピュリズム勢力の台頭 → 戦争に突入という順をたどったという捉え方があります.

それに照らすと今の日本は第2段階に入ってきていると言えます.所得格差の拡大についてはジニ係数がG7のうちでアメリカ,イギリスに次いで日本は高い値になっています.高額所得者や大企業に課税強化し,一般の労働者の労働環境,実質所得を改善していかないと後戻りできなくなるでしょう.

草刈り2025も終盤

2022年夏に耕耘機が修理不能となって処分し,2023年から畑は全面刈り払い機で草を刈るということになりました.そんな体制で今年で3シーズン目です.

これまでよりは “1周” を刻むようになりました.だいたい10回で1周です.一度の作業は1時間〜1時間半ですが,体調や気温により1時間弱に留めたり,2時間みっちりと言うこともあります.それは休憩を含んだ時間で,熱中症予防情報が「危険」の時には,10〜15分毎に小休止をして少しずつ水分を補給し,作業の間に一度はもっと長い休憩を取りました.

今年は消耗品であるチップソーを更新する以外新しい道具の導入はしませんでしたが,2点効果のある改善がありました.

一つ目は帽子です.これまでは麦わら帽子をかぶって作業をしていました.つばが広いので日が当たりにくいと考えていました.しかし,ワークマンで買った通気性の良い帽子にした方が楽であることに気がつきました.熱中症のポイントの一つは脳を加熱しないということのようで,麦わら帽子はつばが広い代わりに通気性が良くなく頭頂部の温度が上がる様に感じます.

二つ目はシャツを濡らすことです.作業の際着古したワイシャツを地肌に来て,その上に空調ベストを着ますが,そのワイシャツの背中部分を濡らして着ると,冷やす効果が大きいです.もともと汗をかくと涼しいと感じたので試したら正解でした.ただし,濡らしたシャツを地肌に着る瞬間は気持ち悪いです😓

昨年はちょうど今頃である9月13日に軽い熱中症になってしまいました.今年も暑くてきつい日もありましたが,一番悪くても軽い熱中症の手前止まりでした.

今年の悪い点は1つだけあります.それは刈り払い機の劣化です.昨年の5月に前の刈り払い機(リョービ製)のプラスチックの留め具が劣化し,まだモーターやギヤは快調だったのですがリョービを吸収合併した京セラの後継モデルに買い換えました.

リョービ製は15年使いましたので,後継機種にも10年やそこらは働いてもらいたいと思いましたが,2シーズン目の今年の始め頃からモーターかギヤが異音を発するようになりました.まだエンジン式よりは静かかもしれませんが電気式の静粛性というメリットが失われました.それでもトルクは落ちていないのでまだこのまましばらくは使うつもりです.

しかし,日本製品の品質はどれもこれも劣化している様に感じます.次のシーズンあたりには買い換えなければならないような気がします.

一昨年,昨年の記録を見ると10月くらいまでは草刈りが必要なようです.ということで “5周目” に入りますが,草の勢いもようやく衰えが感じられますので,これまでよりはペースを落としてゆっくりやりたいと思います.

一昨年,昨年は6〜8回で1周でした

Prawn Chips

生活の中のできごとやSNSの投稿を見て昔のことを思い出すことがしばしばあります.特にオーストラリアのことが多いです.

この大手スーパーのプライベートブランド商品,本当は買うつもりはなかったのです.このシリーズ中の揚げせんべいが気に入っていて先日炎天下買いに行ったのですが,その商品だけ売り切れていました.仕方ないので適当に選んだのがこのえびチップスです.

大手スーパーのプライベートブランド商品「エビチップス」

意図しないで買ったわけですが,これはオーストラリア時代中華レストランでテイクアウェイしたprawn chipsを思い出させます.

オーストラリアに赴任していた間,通常食事は近所のスーパーで惣菜や米を買い普通に調理していたわけですが,たまに中華レストランからテイクアウェイをしました.

テイクアウェイはどこのレストランでもやっていました.利用したのはピザ,タイ料理,そして中華で,普通の食事になるので中華は一番多かったです.それも最寄りの駅前にある中華レストランは徒歩で行けるので一番利用回数が多かったと思います

電話をかけて注文して,料金を聞いて,頃合いを見て徒歩か車で出かけました.

あるとき前の客が受け取るのを見ていて香ばしい紙袋に入ったのを店主が “prawn chips” といっていたので,次の時に頼んでみることにしました.

その次の機会に実際に頼みましたが,紙袋に入った大きめなエビ風味のせんべいです.オーストラリアではシドニー以外でも “prawn chips” でしたが,世界的には “prawn cracker” と呼んでいるようです.

油で揚げたてのものを紙袋に入れてくれるので紙袋は油でベタベタになります.それでも家に帰ったくらいに食べてもパリパリとおいしい食感です.

たぶん,2000年にアデレードを訪れたときも中華レストランで2回ほど買っているはずです

そんな,後にしてみれば思い出深い食品なのに写真が一切残っていません.ついでに言えばオーストラリア時代にテイクアウェイした料理はひとつも写真がありません.

大手スーパーのプライベートブランド商品のエビチップスも,そこそこおいしく,そんな思い出に浸りながら食べました.

しばしば当BLOG内で言及していますが,筆者は仕事の関係で1996年3月から1997年6月までの15か月間家族を連れてシドニーに赴任していました.
日本では米語由来の “テイクアウト” が一般的ですが,オーストラリアでは “Take away” = “テイクアウェイ” です.
と,この記事を書いているときには思いましたが,あとで思い返してみたら,たしかに最初に prawn chips を購入したのは駅前の店ですが,利用回数が多かったのはPymble駅前の “Very Good Restaurant” でした.ちなみにどちらのレストランも2025年9月現在存在していません.
レストラン名は “LIM’s Restaurant” と記憶しているので,ここだと思います.
油がギトギトでない分ずっとましかも😓

サラリーマン時代の習性がなかなか抜けない

サラリーマンをクビになって,はやン〜年の歳月が流れました.

全く生産性のない,まさにS田M脈元議員に存在価値を否定されているおっさん(間もなく爺さん.いや,既にか😓)として生きています

勤労勤勉なサラリーマンではありませんでしたが,一日・一週間の生活パターンがなかなか変わりません.

例えば,この時期,草刈りは朝の早いうちにすれば多少は楽なんですが,どうしても,朝食後一服してから支度をして,庭に出るのが9:30とかになります.日によってはその時間で既に熱中症予防情報が「危険」になっています.実際日差しの下では暑くて,最初の頃は30〜45分間作業したらもう限界でした.しかし,空調ベストを導入したり体が慣れたりして,なんとか1時間〜1時間半くらいは作業ができるようになりました.

あとは,敢えて変えていないのは曜日による “休み” です.これは,外作業などをして不慮の事故を起こしたときに,医療機関にかかりやすいかどうかで決めています.

土曜日も開いているクリニックは多いですが,かなり混むらしいので,原則作業は平日で,毎日やっては体がもたないし,自分の時間も作れないので,月・水・金にしています.

草刈りの成果
男は子供を産まないから杉T水O氏の主張に従えばそもそも生産性はないんですが.
熱中症や怪我,スズメバチやマダニに刺されること等が想定されるトラブルです.

毛量カースト

差別に無自覚であることの責任

まだ南アフリカでアパルトヘイトが行われていた頃のドキュメンタリー番組を思い出しました.白人と黒人の女子高校生の日常を描いたものです.

白人の女子高生は日本人から見てもうらやましい環境にある豪邸に住み屈託なく暮らしている.一方黒人の女子高生は治安や衛生に問題がある地域の貧しい家に住んでいる.健気に生きているけれど暮らしには貧乏の影が落ちている.

白人の女の子はあからさまに黒人を差別するとか,まだ高校生ですから搾取構造の中で生きているということはないのですが,そういう社会構造で差別・搾取する側にいて罪はないのだろうかと思いました.

ChatCPTに聞いてみたら「差別に無自覚であることの責任がある」というのでなるほどと思いました.

なぜこんな昔のドキュメンタリー番組を思い出したかというと,最近SNSで「自分は若い頃から毛量カーストの底辺にいる」との書き込みを見たからです.

筆者自身は幸いなことに若い頃から高齢者になるまで毛量で悩んだことはありません.そういう立場からすると,薄毛の人はもちろん多かれ少なかれ悩みを抱いていることは解りますが,カーストの底辺いるような重圧をいつも感じて生きていたことまでは想像さえできませんでした.

そう,そのカースト構造の存在を自覚なく生きてきた責任を感じているところです.