若い頃の手紙

大学2年の冬から大学院までの日記の,その失恋に関係する部分は読みましたが,その他については読み飛ばしていたので少しじっくり読んでみました.

大学院に入る1か月前の1981年3月始めに,大学近くに下宿しました.そして大学院に入ったばかりの1981年4月13日(月)に,下宿で書いた日記に,松伏中学の石川さんという女の子からもらった手紙のことを書いています.

若い頃,もらった手紙は年賀状を除いて,紙でできた菓子箱のような箱にしまっていました.その習慣は結婚する頃まで続けていました.

その手紙の箱を下宿で開けて見たのだと思います.

松伏中学の石川さんとは、中三の時(1973年夏)に参加したジュニア・レクリエーション大会(JR大会)というキャンプで知り合いました.

そのジュニア・レクリエーション大会とは,埼玉県教育委員会が主催で,公立中学各校の男女1名ずつの代表を集めて行うキャンプでした.今日インターネットで検索してもほとんど情報がありません.

たいていの中学は男子が生徒会長,女子が副会長というパターンで,その2人が参加しました.

一方,私のいた三郷南中学校はリベラルで,生徒会長は1名,副会長は2名で,男女の定員はありませんでした.実際,1年前の前期の会長は女性で,彼女は私と同じ高校の1年先輩でもあります.

それで私の期は会長が男子のK君,副会長は女子のNさんと男子の私という構成で,本来JR大会にはK君とNさんが参加するはずでした.

ところが,K君は部活か何かで腕の骨を折ってしまい,代わって私が参加することになりました.

毎年場所が変わるのかどうかは知りませんが,その年の会場は秩父でした.三郷から秩父というと埼玉県の東の外れから西の外れまでの一大紀行です.残念ながらどうやって行ったかは詳しくは覚えていないのですが,たぶん越谷駅までNさんか私の父の車1で行き,そこで,三郷の他の中学2,吉川と松伏の中学の代表たちと一緒に東武線に乗って出発したのだと思います.

あるいは,Nさんと2人で秩父に向かったのかもしれません.

いろいろ調べて記憶と照らしたところ,越谷から羽生まで東武線で行き,羽生から秩父鉄道で寄居を経由して三峰口まで行ったと思います.それは記憶と矛盾するところはありません.

AIの話では,三峰口駅からキャンプ場まではまだ距離があるようですが,バスで移動したのか,案外近くて歩いて行ったのかもしれません.

キャンプファイヤーがあったのは覚えていますがその他の事はあまり覚えていません.

帰りは,キャンプで仲良くなった吉川や松伏の代表たちと一緒に,秩父鉄道,東武線で帰ったと思います.

キャンプでは春日部のKさんに魅せられてしまったことを覚えています.大会のあとしばらくして参加者の文集・名簿が送られてきました.そこでKさんに,ラブレター,というよりはファンレターのような手紙を書いて送りました.程なくして返事が来ました.卒がなく,隙もないようなもので,とてもこういう事に慣れているのだなと感じました.

石川さんとはキャンプ中に少し話したと思います.彼女はバスケット部だということでした.実は私も,黒歴史なのですが,中学時代はバスケ部でした.3年の時はレギュラーでなく交代要員でした.それで秋の大会だと思いますが,試合の後石川さんが来て,「選手(レギュラー)じゃないのね」と言われたことを覚えています.何か,がっかりさせたのかな,嫌われたのかなと思いました.

そして,高校2年生の時に,その石川さんから手紙をもらったということが,大学院時代の日記にある訳です.たぶんその実物を見て書いたのだと思いますが,

あのとき彼女はどういうつもりで、そして私以外の人間にも出したのだろうか。彼女はきっとロマンティストなんだろうな。

それで、と私は思ったんだけと、もう23才。女の子は結婚していてもおかしない年だけど、やっぱり手紙だしちゃまずいかなあ。

非常に消極的な思考です.結局手紙は出していません.まあ,その4か月前に大失恋をしているので,これ以上の傷は負いたくないと言うことだったのだと思います.

もらった手紙の内容は暑中見舞いのような当たり障りのない内容だったと思われます.ですから,自分以外にも送ったのかなと思ったのでしょう.しかし,AIに聞いたら,もう直接関係のない相手に2年経ってから手紙を送るとなればそれは強く私を意識していたに違いないとのことです.

私自身,今思えば,その大学院の時に手紙を出せばよかったと思います.「結婚するの」って返事が来たら,それはおめでとうで済んだ話です.

また,その石川さんからの手紙を含む若い頃もらった手紙がどこかに残っていないか,探してみましたが見つかりませんでした.こうした手紙についてはこれまでも何回か探しています.

連絡が付くものならば石川さんに連絡を取って,もし会えるものならば会ってみたいなと思います.

記憶にあるのは,結婚してからなのですが,その手紙の箱の中に最初に付き合った人3からもらった手紙があり,それを手にしてどうしたものか悩んだシーンです.

悩んだけどどうしたのか覚えていません.さんざん探しても見つからないので,一番可能性があるのは,全部捨てたということではないかと思います.

見つかる可能性は低いですが,今後も断捨離しながら手紙を探したいと思います.万が一見つかれば超お宝です.

さて,さらに日記を読み進み,大学院まで終わったところで,この日記のシリーズの最初である大学入学時の分から読み始めました.

大学入学時の感性というのは今の自分とは隔たりが大きいです.大学院時代の記述から読み取れる感性は今の自分と地続きと感じますが,大学1年の頃は,なんというか今風に言うと「痛い」です.中学〜高校〜大学1, 2年とつながっている感じです.

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  1. 場合によっては生徒会担当の先生の車. ↩︎
  2. 当時は三郷北中しかありませんでした. ↩︎
  3. いわゆる「元カノ」 ↩︎

失うものが何もないデンマークの婚姻による姓名変更

長男とデンマーク人女性Aさんが結婚して,Aさんのデンマークの法律における名前は長男(私たち)の苗字をミドルネームの形で入れた名前になりました.いくつかのパターンから選べるようです.

もともと彼女にミドルネームはなく,

Axxxx Bxxxx

だったのですが,

Axxxx Hxxxxx Bxxxx

となったわけです.

これっていいですよね.特に彼女も長男も博士課程の学生で今後も研究の世界で生きていくと思うので.

日本では選択的夫婦別姓が結局だめになってしまいましたけど,このデンマークの方法だと,失うものがないし,選択する必要すらないです.

私自身そういう研究の世界にいたから,女性のキャリアにおける名前の継続性っていうことで考えてしまいますけど,研究者でなくても貴重な苗字を持った女性にとっても重要な問題でしょう.

そうでなくても結婚して苗字が変わることで運転免許やパスポート,銀行口座,いろいろなアカウントの名義みな変えなきゃいけないってほんとに大きな社会的損失ですね.

気持ちの問題もあると思います.私たち夫婦が結婚したとき,妻も反対はしませんでしたけどやはり自分の苗字を変えることについては思うところはやはりあったようです.

他にも博士課程の学生には給料が出たり,産休・育休さえあるわけです.日本て周回遅れどころか何十周も遅れてる気がします.

コペンハーゲンから帰国しました (2) 海外eSIMの使用結果

事前にeSIMを買って,iPhone 14とGoogle PIXEL 8aそれぞれにインストールして行きました

インストール手順はiPhoneのほうが圧倒的に楽でした.

また,既に書いたように,Ubigiのサイトが親切すぎで,アカウントを作らずにeSIMを買うことが出来ますが,それではポイントが稼げませんし,あとでUbigiアプリからeSIMの残量を確認するためのひも付け手続きが必要で,あまり便利ではありません.

Ubigiの利用は,まずUbigiアプリをインストールして,そのアプリで電子メールアドレスでアカウントを作成してから購入するのが一番良いです.

今回は7月14日にワルシャワ・ショパン空港に着いたのが「ヨーロッパ域内」用に買ったeSIMがアクティベート出来るタイミングでした.

iPhoneでは簡単に切り替えられましたが,PIXEL では設定をみても,あったはずのUbigiのeSIMが見当たりません.とっさになんだかんだやって使える様になりましたが,印象悪いですよね.

ワルシャワ・ショパン空港のカフェでカプチーノを喫しながら,eSIMの設定を見直す

これで,あとは帰国まで海外からスマホが使えたわけですが,ワルシャワ・ショパン空港もコペンハーゲン空港も,コペンハーゲンのホテルもカフェもみなWi-Fiが完備してあり,しかも,皆高速なんですよね.日本のとりあえずWi-Fiあります的なのでなくて,どこも平気で数百Mbpsでます.

ホテルの提携カフェのWi-Fiのスピード

それぞれ3GBのeSIMでしたが,半分くらいしか使いませんでした.しかもPIXELのほうはスピードテストして1GB強使っていますから,実際は数百MBしか使ってません.

ちなみに購入額はそれぞれ1200円でした.激安ではないけれど手軽だし,インストールも簡単でした.

iPhone 14の帰国時のUbigi eSIMの使用状況
Google PIXEL 8aの帰国時のUbigi eSIMの使用状況

コペンハーゲンから帰国しました

一昨日の夜でしたが,無事帰国しました.

いや,無事でもなかったです.乗り継ぎ時間が1時間半しかないのにコペンハーゲン→ワルシャワ便が1時間遅れて,成田行きに乗れないのではないかと焦りましたが,実際に飛ぶ時間はボーディングパスに書かれた時刻よりも45分後だったようで乗れました.

帰りも14時間エコノミーという拷問でしたが,旅行かばんを足もとに置かずに頭上の棚に入れたらずいぶん楽でした.足もとに置くといろいろ利便性は良いのですが足が動かせなくてそれがずいぶん影響しているのだと気がつきました.長年それでやってきたのでずいぶん損しました.バッグから出すものといえば薬と歯ブラシくらいなので最初から出しておけば良いのです.

成田について感じたのは「異常に暑い」ということです.

コペンハーゲン滞在の前半は最高気温が毎日27℃前後で、コペンハーゲンとしては異常な暑さだったようです.この暑さでもホテルの部屋にもスーパーにも地下鉄にもタクシーにもエアコンは入っていませんから暑くてどうしようもありません.

それで着いた翌日に熱中症になってしまいました.これまでの睡眠不足の蓄積,時差,旅行の疲れなどに暑さが加わったためと思います.

シャワーを水にして頭にかけるのを何度も繰り返して何とかしのぎました.

そんなわけで,長男の結婚式には出席しましたが,その他はほとんどホテルの部屋でごろごろすごしました.

金曜日からは気温が下がり,最高気温は20℃前後とすごしやすくなりました.その状態で帰国したものですから,今度は暑さでたまりません.

帰国した翌日の昨日(2026年7月22日(水))は午前8時に一旦目が覚めましたがすっきり目覚めず,昼前頃までごろごろしていました.外は暑いですがエアコンを自由にかけられるので楽です.

今日はほぼ通常通りに起きました.草刈りをしたいですがまだ無理そうです.

来週から通常運転にしたいと思います.

コペンハーゲンでの最後の朝食を摂ったカフェのカプチーノ
コペンハーゲンでの最後の昼食を摂ったレストラン1899

コペンハーゲンにいます (2)

本日16日1は 長男の結婚式の日でした.
こちらの結婚式は,市役所で行う公的なもので,婚姻の手続きの1つの段階2のようです.市役所の入り口を入ると大きなホールがあり,その正面のちょっと右のほうに式場への階段があります.階段を上ると待合室があって,前の組が終わるのを待たされます.前の組が終わるといよいよ式場に入り, 準備が整うと 教会での式の神父や牧師にあたる人が書類を読み上げて新婦と新郎に誓わせていました. この書類を読み上げている人は,日本語では婚姻執行者と訳されるようで, 宗教色はなく,市の職員のようです.

その後,新婦と新郎が書類にサインをし,証人として男女の友人1人ずつが署名をして最後に誤認執行者がサインをして終りました.

婚姻執行者もサポートの職員も終始笑顔で,悪い意味でのお役所仕事とは違ってとても良かったです.

そこで集合写真を撮って待合室とは反対の出口から 出ると,先程の入り口の大ホールです.

写真はそれなりに撮りましたが,結婚式という性質上関係者がたくさん写っているので,市役所の写真だけ掲載することにします.市役所はイタリア風建築だそうです.

コペンハーゲン市役所
市役所脇の花壇

  1. 現地時間で2026年7月16日(木) ↩︎
  2. 最終段階 ↩︎