努力は報われる(自己責任論2)

「努力は報われる」という言葉は,よく聞く言葉で,特に教育の場や競技の鍛錬の場では金科玉条になっているんじゃないかと思います.実際,いろいろな分野で「成功」した人は,人並み以上の(場合によっては常人には考えられないような)努力をした人が多いです.

しかし,成功した人の努力をしのぐ努力をしたものの成功しなかった人は成功した人よりも多くいるということも事実です.

やっかみだといわれると思いますが,成功者の一番の要素は「運」だと思います.成功した人のインタビューや自伝で,まれに多分謙遜のつもりで「運がよかっただけだ」という(書く)人もいますが,それは謙遜ではなくて真実です.

それはさておき,この「努力は報われる」という言葉は残酷な言葉です.この言葉の対偶を考えると,「報われないものは努力ではない」となりましょうか.もとが,論理的ではないので,この対偶も正しいのかよく解りませんが,人並み以上の努力をしながら報われない人には残酷な言葉であることは間違いありません.

自己責任論

人として一番残念な考え方だと思います.こういう「非常時」に,実はこの人は自己責任論者だったのかと知ることが多いです.

日本は他の国に比べて自己責任論者がとくに,高い教育を受けた人,収入が多い人に多いといわれ,またその原因についてもいろいろ考察があるようで,それぞれについてはそれぞれ納得するところもあります.

私がひとつ思うのは,日本人の人生観に,「人に迷惑をかけないで生きることが重要」というのがあるためと考えています.たしかに,人に迷惑をかけないで生きることは,すがすがしいですが,社会というものは,相互にインターラクションがあり,多かれ少なかれ迷惑をかけざるを得ませんし,そもそも先進国に生まれたというだけで,既に途上国の人々に迷惑をかけて生きているということも事実です.

自己責任論者たちは,不思議と,自分が弱者の側に転落しないという自信を持っているように見えます.

その自信については何の根拠もない自信と一蹴することもできますが,実際,今までの日本では,転落する個々の確率はそれほど高くなかったから,それで済んできたのでしょう.そして格差社会が固定化すれば,転落する確率はさらに下がって,自己責任論者たちには都合が良い

しかし,自分が将来にわたって転落する確率が低かったとしても,自分も妻も2人の子も,さらに孫たちも転落しないで済む確率となると,厳しい話になってきて,現実に起こりえる確率になってきます.

例えば,個人個人が弱者の側に転落する確率が1%の場合,自分を含めて,親族が10人いたとすると,全員が転落しないで済む確率Pは,

です.まだ,10家族に1家族なら,「普通」は起こらないことだ,と考えて済ませられるかも知れません(筆者は小市民なので,10家族に1家族も起こるのかと,怯えますが😓).

しかし,今日の新コロナ禍の中では,経済時な厳しさが広がっていて,ベースの確率が上がっていると言えます.仮に個々の確率が5%まで上がったとすると,

10人家族が全員安泰でいられる確率は60%まで下がりました.さらに個々の転落する確率が10%まで上がるとなんと,

となり,10人の家族が全員転落しないですむ確率は35%まで低下します.

人々が弱者に対する思いやりを持ち,セイフティーネットが機能する日本になることを願ってやみません.

現政権が支持されている大きな理由と思います.