ウクライナが日本でロシアがロシア (2)

プーチンがウクライナを侵略している理由の1つが,「ウクライナに核武装をしようとの動きがある」である1全く根拠のない言いがかりのようですが.のは,先日報道されて記憶に新しいところです.

そして,わが国の大ばか物政治家が日本は核武装の議論をすべき(意訳)といったと報じられたのはわずかその数日前のことで,背筋が寒くならずにのんきにすごしていられる人がうらやましいです.タイミングからして,プーチンのウクライナの核武装疑惑発言はわが国の大ばか物政治家の発言を意識していないと言い切れないでしょう.

そしてまた,ロシアが北方領土で軍事演習との報道です.どこの軍事演習がこわいって,ロシアの軍事演習ほど怖いものはないと,世界中の誰もが知っています.

これまでのEU, NATOやアメリカの動きを見ていると,腰が引けているとしか言いようがありません.そりゃそうで,核による抑止力は双方がその恐ろしさを知って絶対に使わないという前提があるから成り立つわけで,本気で使うというキ〇ガ〇指導者がいると前提が崩れます.もはや核の傘や抑止力は意味がありません.むしろ正気の人たち(=腰が引けている人たち)の行動を束縛するものでしかありません.

もし,ロシアの軍事演習がそのまま日本の攻撃につながるようなことになったら,「日米安保が発動」するわけですが,攻撃してくる相手には核を使用することをほのめかしているプーチンロシアをアメリカは攻撃できるでしょうか.

花粉症で微熱感がありますが,背筋が寒くならずにいられません.

#何もしてないのに壊れた

今朝,ふとRaspberry Pi 4 Model B(RasPi4)の家庭内サーバーを見ると,SDカードを挿入する側のパネルが外れています.よく見ると,アクリルの破片もあります.

カチッとはめているところにそれなりにテンションがかかっていたとは思いますが,その強度不足か,部材にもともと亀裂が入っていたかで自壊してしまったようです.

RasPi4用の予備のケースなんて,2つも3つもある訳ではありませんが,1つはあるので😓あとで交換します.

追記: 交換しました

壊れたケースを補修して予備用に取っておこうかと思いましたが,破損した部分が細く,接着剤で付けてももたなそうなので,廃棄することにしました.

3月11日

そういう訳で,個人的にはこの頃の思い出と言えば,1996年にシドニーに渡って,4月初めに渡豪する家族を迎え入れるための準備を開始したことですが,やはり2011年の3.11も忘れられません.

東日本大震災の当日はこの季節としてはずいぶん暖かい,を通り越して暑かった印象があります1気象庁のデータでは,2011年3月11日の当地の最高気温は11.5℃で,記憶にあるほど気温は上がらなかったようです..確か金曜日と記憶していますが2正しいです.,休暇を取り,ヨーロッパに音楽修行にいく家族のため,まとまった金額のトラベラーズチェックを買いに,昼前に銀行に行ったのです.

その家族は,既に高校の卒業式を済ませましたが,3月31日までは正式な身分は「高校生」です.18歳に達していても高校生だと,クレジットカードの家族カードが作れません.ということで,渡欧して初動の資金は全て持参するしかありません.さすがに現金では危険ですしレートも悪いので,トラベラーズチェックを買って持たせました.たぶん,これがトラベラーズチェックの最後の購入になったと思います.

午前中に任務を終え,暖かいというか暑さを感じる書斎で,くつろいでいたところ,東日本大震災に見舞われました.

家の中も棚の上に置いてあるものはことごとく落ち,皿が食器棚から飛び出して多数割れ,エアコンの室外機が倒れたりしましたが,食器棚自体やタンス類,テレビなどの大型家具,家電はほとんど耐震対策をしてあって転倒することはなく,大きな被害はありませんでした.家族も無事でした.

実はこのとき,職場ではスチール製の大型の棚がほとんど倒れてたいへんなことになっていましたが,地震の当日はそういう訳で休暇を取っていましたし,週明けからしばらく出勤停止になったので,その惨状を自分の目で確認したのは何日も後のことでした.

たぶん,職場にいたら無傷では済まなかったかもしれません3複数の同僚が重軽傷を負いました..幸運だったと思います.

MH 370が “消えた” 地点をWSPRnetで特定

3月8日に放送されたフジテレビの「世界の何だこれ」で,2014年に消息を絶ったマレーシア航空370便(MH 370)の消滅地点を,最近になって特定したとの内容が放送されていました.

番組終盤で核心に入るところでCMになり,こういう場合CM自体が長い上CMあけにうんと引っ張るのがみえみえなので,録画をかけて他の番組を見ていて,しばらく忘れていましたが,2日経って思い出して見てみました.

な,なんと,消息不明になった点を特定するのにWSPRnetのデータを用いたGDTAAAという手法が用いられたというので,びっくりです(番組では “GDTAAA” という名称は紹介していません).

ただ,特定された場所はオーストラリアから西に2000kmのインド洋(以前から大体そのあたりとは推定されていました)で,水深は4000mあるというので,捜索は難航すると思います.

検索すると多数情報があります.

他多数.

追記

Godfrey氏の手法に疑念も呈されているようです1詳しくは自分で調べて下さい😓.いずれにしても早く機体が発見されることを願っています.

3月10日

1996年

今となっては「3.11の前日」と連想しそうですが,東京大空襲は,忘れてはいけません.

また,私にとっては1996年,1年3か月のシドニー長期出張1よその会社・組織の人には「1年ちょっとは長期とは言わない」って言われましたが,私の所属した組織では,3〜9か月が中期で,それ以上は長期出張と区分されていました.に出発した日です.

自身にとって,当時海外に出発するのは6回目2そのうちの5回はオーストラリア.でしたから旅自体はどうと言うことはなく,すいたB747で運良くビジネスクラスに格上げしてもらったゆったりしたシートの夜行便で翌日の早朝にシドニーに着きました.

この出張はとある海外研究協力ファンドによるもので,長期出張の1か月前前後に1週間下準備のため出張できることになっていて,2月上旬に行っていました.

このときが海外渡航時にトラベラーズチェックを持たなかった最初だったと思います.長期出張に備えて,海外のATMで引き出せる口座を事前に開設しました.

その一週間で,どの町のどんな家に住むのか下調べをして,順調にいけば家の契約をしてくる,というのがミッションでしたが,下調べで終わりました.しかし,住む町の様子はよく解りました.

たぶん,2月の出張は自家用車で成田空港近くの民間駐車場に駐めたと思いますが,3月の出発時にどうやって成田に行ったか,いまとなっては定かではありません3当時はまだアナログ写真で,写真マニアでもなかったので,それほど頻繁に撮影することもなく,この往路の写真は1枚も残っていません..1年以上駐車場に置くわけにいきませんから自家用車じゃないことは確かです.1月初めに長女が産まれたばかりなので,妻に送ってもらったというのも違うと思います.

土浦→つくば→牛久→成田空港の,(当時)高速道路を走らない高速バスを利用した可能性が高いと思います.あるいは,夜行便なので空港までは日中にゆっくり行けばいいので,JR在来線を利用したかもしれません.スカイアクセス線が開通したのは,これよりずっと後の2010年なので,鉄道を利用したとしたらルートは荒川沖→我孫子→成田→成田空港です4京成とJRが空港ターミナルに乗り入れを開始したのは,1991年とのことです.