「検査をしなければ患者は減るのだ」ってバカボンのパパか

昼のワイドショウ見ていたら,「検査を多くすれば,感染者数が増えてパニックになるから,検査をしない方がいい」なんていう,バカなことを言い出すコメンテーターに出演者が同調していました.

感染者数を増やさないために検査数を抑制するという国の方針の「理解者」を増やすため,大手マスコミを使って世論の誘導をはじめたようです

検査をしようがしまいが,感染者の実数には変わりはありません.

その感染者がどこにいるのか検査をしなければ捕らえようがありませんし,今の日本のようなまばらなサンプルの仕方では,検査をしても大規模なクラスターが発生してからでないととらえられません(実際そういう経緯になってます).

武漢以外での感染者の発生の抑制に成功した中国の手法は,個人の行動の徹底的な追跡と行動制限で,これは日本では人権云々の問題もありますが,それ以前に技術的にできません.ですから,せめて積極的に検査をしてクラスターをあぶり出し,その連鎖を抑制していく必要があります.

検査をしなければ感染者が増えないっていう考え方は,科学的な思考をする人からは到底出てこないと思います.

検査をしないでいつの間にか国中にウィルスが蔓延して,ほとんどの人が一度感染してしまえば症状が出ようが出まいが免疫ができるので,あとは収束に向かいます.しかし一気に重症者が増えることになって,救える命も救えないという悲劇があちこちで起こることにもなります.

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マスコミ側の「忖度」っていうやつかもしれませんが.

虐待の話に心が痛む

児童虐待が深刻な問題となっていますが,その虐待をなんとかしのいで成人しても,そのあとさらに苦しんでいる人が少なくないという問題について,先日のクローズアップ現代で取り上げていました(「虐待後」を生きる ~癒えない“心の傷”~).

そりゃ,理不尽な暴力を受け続け,命の危険に曝され続けて育った人が,成人になったからって「普通の人」になれるわけはありません.

特にこの番組で印象に残った,というよりも,思い返すだけで胸が締め付けられるのは,虐待の経験を語る活動をしている橋本隆生さんの,幼い頃,2才年下の弟がふろ場で折檻されて浴槽に浮いて死んでいたという話です.

かわいい盛りに,自分が理不尽な折檻をされていることも判らず,たぶん「ごめんなさい,ごめんなさい」と言いながら死んでいったんだと思います.

権力におもねるメンタリティー

まあ,私のような小市民が,権力にこびへつらおうが反発しようが,世の中何にも変わりません(投票行動は別で世の中を動かします).

多くの大人って,子供のころは親や教師にまあ多かれ少なかれ反発し,就職してからも若いうちは上司や先輩にこれまた多かれ少なかれ反発してきたのが普通でしょう.それが健全だと思います(個人の感想です).

一回り以上生きてきて理解できないのは,巨大な権力は別扱いで,おもねろうがへつらおうが小市民レベルでは何の得もないのに,そういう粋でない事をする人がなぜ少なからずいるのかって事です.

また,そういう人たちの多くは,自分より立場の弱い人を攻撃するように見えてなりません(むしろそのための権力志向なんじゃないかというふしが多すぎます.個人の感想です).

権力は必ず腐敗します(最初から腐っている権力もありますが).ですから,デフォルトで反発・批判的な立場を取るのが健全だと思っています.

何が年功序列廃止だよ

年功序列廃止して,能力給・成果給っていったって,入社1年目からこれまでの中堅並みの給料もらえるわけじゃなくて,単に中堅〜ベテラン社員の給料を下げる(そして全体の人件費を抑制する)ための方便でしょう.

だいたいほとんどの職種では,能力・成果なんて客観的に測れるわけないし,売上高で測れるとされる営業職だって,かんぽ保険の不正に見られるように成果偏重にすると,モラルハザードになる.

保険会社の多くの評判が芳しくないのもそういうところに起因しているんでしょう.

そんな組織の中でうまく立ち回って「成果」を上げるような人は,それはそれなりの能力と言えますが,僕はそういう生き方は好きじゃないです(負け惜しみじゃない😓).まあ,組織に属するって言うことは多かれ少なかれそういうことをしていかないといけないものなのでしょうけれど.

また,多くの人は,あとでもらえるご褒美よりも今もらえるご褒美で奮起できるんじゃないでしょうか.成果が出せたので給料が上がるよりも,先に給料が上がった方が多くの社員にやる気が出て,会社全体のパフォーマンスが上がると思います.

私の少ない人生経験で,あとでもらえるご褒美のために耐え忍んで成果を出せる人をほんの数人知っていますが,まあ,あんまり付き合いたいと思えるような人柄ではなかったです.

そんなこんなで成果給・能力給は人間的ではないです.

会社は人間のためにあるのではないのか?

Dingo

高校生の頃からMiles Davisを聞いていて,自分の音楽の嗜好の中心軸にいつも彼の音楽がありました.

1991年9月にMilesが亡くなり,その年の暮れでしたか,DingoというMichel Legrandとの共作である同名映画のSoundtrackアルバムが,遺作としてリリースされました

発売直後に,たまたま仕事で東京に出た帰り,秋葉原の石丸電気のCD売り場に立ち寄って見つけて即購入しました.

何年も後になりますが,映画自体も見ました.地上波放送ですが😓 シドニーで見たのか,日本で見たのか記憶があいまいです.吹き替えではなかったと記憶しているので,やはりシドニーか,それとも帰国後に深夜の地上波,もしくは旧独立UHFで字幕放送されたものを見たのかも知れません.

しかし,まあ,映画ははっきり言って駄作ですね😓 素人の私が見ても突っ込みどころだらけです.若い主人公がオーストラリアの田舎を離れ,パリに着いて,どこへ行ったらMilesの演じるジャズプレーヤーに会えるか解らず,自棄になって通行人に殴りかかり,警察沙汰になるって,なんでしょうこの三文以下の脚本😓

見所と言えば最晩年のMiles Davisが,自身に重なる著名なジャズプレーヤーとして出演していることだけでしょう.

Soundtrackも残念です.Miles Davisはじめ演奏は良いんですが,やはり映画の演出の悪さがそのままあちこちに出ています.

例えばある曲で,最初のプレーヤーのソロの後,別のプレーヤーのソロが始まるのですが,それまでおとなしく聞いていた観客が猛烈な拍手を起こすのです.演奏の良さは二人とも良かったし,2番目のプレーヤーがMilesだったわけでもないです(たぶん😓)

映画でこの場面を見ても,なぜ2番目のソロプレーの時に拍手が起きたのか納得できなかったと記憶しています.

あいまいな記憶しか残っていないわけで,映画をレンタルしてもう一度じっくり見れば納得できるのか,少なくとも納得できないことに納得できるのか,そのあたりはっきりできるかも知れませんが,もう一度見たいとは思わない映画なのでやめときます.

翌1992年に,同じく遺作で,最後のスタジオ録音アルバム “Doo-Bop” が発売されたようです.
今,あらためて聞き直してみましたが,拍手と歓声が沸き起こったとき,音は明らかにMilesが吹き始めています.ですが,この映画の主人公はMilesでないので,変だと思ったのかな😓 解りません.