実に痛快.
1989年から1998年にかけて,噂の真相などに掲載された佐高のコラムの原稿を集め,1998年に刊行されたものです.題の通り当時有名だった政治家,作家,タレント,学者などを辛らつに批判しています.だいたいの傾向としては,
- ファシスト・右翼的思想を持つ人
- 拝金主義者(今でいう「市場原理主義者」)
- 同族経営・世襲経営をする経営者
- 情緒で世の中を捉える人
- 昔と今とで,主張が大きく異なる人
- 人(普通の社員,一般人など)を人と思わない人
- 押しつけがましい人(独善的な人)・押しつけがましさを感じられない人
- オタク・自立して生活のできない男(マザコン)
などがやり玉に上がっています.切られている人たちは当時も有名で,今も活躍している人(ないし高い評価が定着している故人)たちです.たとえば,ビートたけし,石原慎太郎,猪瀬直樹はいうに及ばず,司馬遼太郎や井上靖までも厳しく批判しています.
巻末の解説によれば,私的に長年付き合いのある人や,実際に犬猿の仲の人などいろいろなようです.
余談ですが,いい歳こいて,自分の寝具の準備・片付けなど全然できない人っているんだって,定年退職者を送る会に出て先輩の話を聞いてあきれましたが,この本で切られている著名人にもそういうレベルの人が何人もいます^^;
14年から24年経過した今でも,どの評論も陳腐化していません.その人たちの本質に迫っていると言えます.また,今では忘却の彼方にある^^; 「住専問題」という言葉がしばしばでてきます.金融政策の失敗でバブルに油を注ぎ,住専破綻の後処理に巨額の税金をつぎ込むことになりましたが,その責任を負うべき政官のだれもが罪を追求されていないし,贖罪していない.アメリカでは,似たような事例で政官の責任者が千人規模で有罪になっているとのことです.たぶん,西欧の先進国でも同様でしょう.
今回の原発事故の本質的な問題は,狭くてどこでも地震・津波の危険がある日本に原子力発電を導入・推進したことです.それこそ,某大手新聞社の論説委員の言い方を借りれば,「いつかこういう事故が起こるのは,小学生でも解ること」です.
原発導入の最初の意志決定は,本書でもしばしば「平成の妖怪」として挙げられる中曽根元首相が行った(通産大臣当時)ことは,先日のNHK特集で紹介されていました.このそもそもの意志決定と,その後の無軌道に原発を増やしていった,自民党政府,通産省(現経産省)の責任者たちは,断罪されるべきです(これは,私の意見^^; ).しかし,マスコミの世論誘導で,東電始め電力各社と事故当時の民主党政府だけの責任にすり替えられてしまいました.
佐高は誰をも厳しく批判するので,この本を読んでも,それでは理想の組織のトップや政治家はどうあるべきといいたいのかが見えにくいです.しかし,それは,引用している,服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」(中公新書)からの「戦(いくさ)に勝つのは兵の強さであり,戦に負けるのは将の弱さ」という言葉に象徴されていると思います.
しかし,今の日本で,そういう人間らしい心を持った人が組織のトップになれるとはとても思えないです.そういう風土を作ったのは,この本で斬られているようなトップの人たちでは無くて,むしろ一般の人々の責任なんでしょうね.敢えていえばマスコミかな.
印象に残ったことば
- アメリカの「理不尽な要求や不遜な立ち居振る舞い」については「ノー」と言えと盛田(ソニー元会長)は声高に叫びながら(中略)夫人(=盛田の妻)のそれについては「黙っている」だけなのである
- 山県有朋が亡くなった時,ジャーナリストだった石橋湛山は「死もまた社会奉仕」と痛言した.死んでくれてよかったということである.
- 血筋によって成り上がった人間に対しては,『フィガロの結婚』の中の,「エライと言ったって、自分の力でそうなったわけではない.生まれる手間をかけただけじゃないか」という言葉を呈したい.
- そもそも憲法は,権力を持つものを縛るクサリである.だから常に彼らに取っては憲法は邪魔になる.
- 良いところも悪いところも含めてありのままを愛することが本当の愛.良いところばかり押し売りされては本当の愛国心は育たない(大意)
( )内は筆者の注