Walk, Don’t Run

といえば,The Venturesのヒット曲です.最近どこかのSNSで友人の投稿に出てきて,この曲名に関する長年の「思い」を思い出しました😓

ベンチャーズは,私が生まれた頃から,今日に至るまで活動を続けているようです.この “Walk, Don’t Run” がヒットしたのは1960年ということで,私が物心着く前ですが,その当時かその後にか親が買ったレコードが家にあったので,知ってました.

で,小学生のころからだと思うのですが,この曲の邦題が,「急がば回れ」となっていることに違和感を感じていました(今日まで).

まあ,たしかに,気がせいているときこそ,落ち着いて,安全な遠回りをした方が良いということは,走らずに慎重に歩いた方がいいということに通じます.しかし,意訳が過ぎますよね.

「急がば回れ」の起源は,琵琶湖を船で渡る近道をとるよりも,遠回りになる陸路を歩くかほうが安全だと言うことらしいですし.

いまはとっさに具体例を挙げられませんが,ことわざの翻訳は,かなり直訳語調のものから,この例のように元とは精神しか通じないような意訳がなされたものまでいろいろあります.

ただまあ,多少なりとも海外生活の経験があるものとしては,ことわざの類いは日常会話によく出てくるので,多少日本語としてこなれなくても直訳に近い方が,日本語のことわざから英語が(その逆も)が想起しやすくて助かります.

暗証番号を教える心理

もちろん,オレオレ詐欺のたぐいは,騙すほうが100%悪いんです.

暗証番号は普通他人には教えません.では,家族ではどうか.ネットでそのへんの事情を探ると,パートナーや親子で共用している人は結構いるようです.

わが家では,夫婦間でも親子間でも暗証番号やパスワード類を教え合うことは厳禁としています.

「原則は教えないけど,例外はある」的な運用をしていると,この件(例えば相手が警察官や金融機関の職員の場合)は例外として認めていいのかどうか揺らぐ場面が出てくるでしょう.そうした揺らぎに詐欺師たちは言葉巧みにつけこんでくるんだと思います.

だから,暗証番号やパスワードは,家族にも信頼できる他人にも,そのシステムの運営会社(金融機関)の担当者や警察官にも教えない,例外は一切ない,という厳格な方針で子供の頃から教育していくしかないと思います.

パチンコ店やネットカフェでクラスタは発生したか

いまのところないようです.前にも書きましたが,パチンコ店はものすごく換気が良いそうです.また,ネットカフェ内も,素人が思うのと違って感染の機会は少ないようです.

未知のウイルスとの戦いで,見込み違いは仕方のないことです.しかし,都府県の首長たちが,あたかも仮想敵のように扱った業者について,当初の政策の誤りを認めて謝罪するくらいのことがあってもいいんじゃないでしょうか.

いつまで続く不寛容

戦後の日本の政治をほとんど牛耳って,良くも悪くもしてきた,自民党政権の首相の中でも,あからさまに分断をあおり不寛容の姿勢を見せ続けたのは,小泉政権以来だったでしょう.

私も暗黒な政治状況の中,いろいろ学び,考えてきたつもりですが,分断・不寛容・ナショナリズム(排他主義)の根っこは利己主義のようです.その反対は利他主義です.

世論調査などを元にした識者の見解では,アメリカでは利己主義な人と利他主義の人の割合は3:7くらいだそうです.先の政権下での国政選挙での自民党の得票は30〜40%だったことから,日本ではもう少し多いと思いますが,それでも幸いなことに利己主義的な人は過半数はいないと思います.

最後はあごも隠れず,衛生用品としての基準も満たさないマスクを全戸に配るなど,「殿様ご乱心」な政策を行い,長期政権が腐敗する解りやすい例を残してくれたことが,一番の成果だったと思います.

新しい首相は,キャッチフレーズに「自己責任」と繋がるようなことを唱えています.自己責任論はほとんど利己主義の言い換えですし,実際前政権の政策の継承を明言しています.

得票率30%台で2/3の議席が得られてしまういまの選挙制度が続く限り,利己主義な人たちを当て込んだ政策が続くのでしょう.

いつまで暗黒時代は続くのか.

自民党だったからこそ「良く」できたというのはほんの少しだと思うけど😓

1番の情弱

ニュースなどで,「街の声」を聞くことがあります.客観性や統計的な意味が担保されないもので,テレビ局の都合の良い意見や感想だけ放送している,完全な印象操作のツールですね.

スマホ決済,キャッシュレスや,ネットバンキング等の街の声では,「個人情報漏洩などセキュリティーが心配で使っていない」という声が必ず紹介されます.これを見聞した,スマホ決済等を日常的に使いこなしている人たちは,笑ってみていると思いますが,こうした漠然とセキュリティーが心配な人たちの期待を裏切らない心配を裏付ける事件が度々起きます.

今回のドコモロ座の事件に関しては,1年以上前に同じ手口の事件(リンク切れ)があったと聞き,呆れるばかりです.

漠然とした不安のため使わない人々は,正しく恐れているということです.