日本の多くの宗教団体って,目に見える形で,日常的・継続的・直接的に,困窮者を支援していないなあ,というのが,オーストラリアに暮らしたときの気付きのひとつです.
あちらでは,キリスト教会が困窮者支援をしていることは,ちょっと暮らしただけで見えてきます.また,生活に困窮していないまでも,制度からもれた人たち,たとえば対象となる制度がないため英語学習を受けられず,社会から疎外されがちな海外からの移住者に対する英語の無料レッスンなども行っています.いろいろな状況で困った人たちを直接的に救済しているという印象です.
もちろん,日本でも経済的困窮者を初めとする社会的弱者を支援している宗教団体はあると思いますが,日常生活を送っていて見えてくることはまれです.
日本の仏教のシンボルである奈良の大仏(東大寺盧舎那仏)の建立は,ざっと調べれば,疫病(天然痘)が流行して,干ばつや大地震があったという状況下とわかります.日本史が苦手だった筆者でもそう習った記憶があります.どう考えても大きな銅像を造っている場合じゃない状況下だったでしょう.
人々が疫病に苦しんでいる中,疫病退散と人類の平和のために,病気治療や困窮者の救済とは直接とは関係ない巨大プロジェクトを行った.建立された盧舎那仏は人類にとってかけがえのない遺産となりました.当時の人々にとっても心の救いとなったかもしれませんが,それで良かったのでしょうか.
そんなことを考えていると,なんか今回のオリンピック開催と重なって見えてきました.疫病に打ち勝った証(あかし),人類の平和のため😓
奈良時代の日本人のメンタリティーと現在人とが共通しているとは思えないですが,仏教的な何かがバックボーンになっているのかななどと,雨が降ってすることもない中考えました.