新首相もゲスいな

「悪夢のような民主党政権」っていうのが,前々首相の決め台詞でしたが,これは今日(決め台詞を発した当時)厳密な意味での「当事者」が存在せず,当時の関係者もそれぞれの現在の立場では反論のしようがありません.当然そこまで知った上でいっているわけで,はた目にはいじめのように聞こえて気分が悪くなります.

宗教団体を後ろ盾にした,大企業と富裕層の利益代表の政権は悪夢どころか最悪の現実だ.って誰か言ってました.

新首相はもう少し上品なのかと思ったら,民主党政権の6悪とか7悪とかいいだして,ゲスさはかわらんですね.反論のしようがないことを言うのは意味がない.言うこと自体多くの人の不快感をあおるだけです.

そういう意味では前首相の方がましです.

しばらくSNSから離れます

SNSは良い面も悪い面あるんですが,まあ,どちらかというとプラスなので使ってきました.しかし,Twitterは日本支社の運営がひどすぎるので何年か前に投稿するのをやめました

前からそうなんですが,SNSはどこも選挙が近づくと,9月の100分で名著で紹介された「群集心理」の「群衆」そのものが数を増して,居心地が悪くなります.

今回も,だんだん居心地の悪さを感じてきたので,Twitter以外のSNSからもしばらく離れることにします.アカウントが乗っ取られて気がつかないというのは問題なので,ときどきはログインしますが.

アカウントを維持するために,ときどきログインしていますが.

ノーベル

先日,ノーベル賞を遺言によって設立したアルフレッド・ノーベルの生涯についてEテレで45分間の番組をやっていました(フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿).ノーベルの人柄とか人生についてはあまりというか全く知らなかったので,興味深く見ました.

ノーベルがダイナマイトを発明して得た富をもとにノーベル賞を始めたのはさすがに知っていますが,どうしてそういうことになったのか.

ノーベルが発明したダイナマイトが,兵器として使われ,それに心を痛めて平和のためにノーベル賞を創立した,くらいに考えていましたが,とんでもない誤解でした.むしろノーベルは,「死の商人」というか,死の商人中の死の商人ともいえるほど,積極的に兵器(爆発物)を開発し,各国に売り込んでいました.

しかし晩年に,平和運動家であり初恋の人ともいえる女性の影響を強く受けて,ノーベル賞の設立,中でも「平和賞」の設立を遺言として残したというのが正解のようです.

ハンプはやめておいた方が良い

日本国内でハンプを敷設しようという試みが最近行われているようですが,やめておいた方がいいです.諸外国の事例はいくらでもありますし,日本国内でも調べればかなり昔から散発的に試みがあるのでそうした事例をまず調査研究すべきです

シドニーで暮らしたのは25年も昔になります.当時は町中にハンプがありましたが,その効果に疑問を抱く人も多く,ハンプは新たに作らず,ラウンドアバウトを設置していくというふうに方針の転換が行われていました.1年3か月の滞在期間でしたが,その間にも通勤路や生活圏に多くのラウンドアバウトが新設されていました.

ハンプの良くない点はいくらでもありますが,特に重要なのは以下の2点だと思います(借りていた家のすぐそばにハンプがありましたし,日常的に車を運転していましたが,そうした実感に基づき,日本の交通事情に照らして挙げてみました).

  1. 徐行して欲しいような乱暴な運転者(不良ドライバー)はハンプがあってもかまわずスピードを出す
  2. 自転車やモーターバイクにとって危険

1.ですが,不良ドライバーはいうまでもありませんし,不良ドライバー以外の多くの善良な😓ドライバーもハンプの設定(設計)速度よりスピードを出します.ですからそもそもハンプを設置したことによるスピードの抑止効果は期待ほどではないですし,近所の人には車両がハンプを通過する際の振動や騒音が新たに生じるようになります.騒音については,善良なドライバーでも,ハンプの前後で減速加速をするので設置前より増えます.

2.については,いうまでもないです.自転車やモーターバイクはハンプを避けられるように,路肩側は少し開けてハンプを設置するようにしますが,そうすると不良ドライバーは片側のタイヤだけでもハンプを避けようと路肩によって走ります.このため,自転車はもちろん歩行者も危険性にさらされます.

そんなこんなで当時のシドニーではハンプはやめてラウンドアバウト設置に重心を移していたようですが(現在はどうか知りません😓),ラウンドアバウトはラウンドアバウトで問題があります😓 .日本の都市部では用地買収が難しいから,それだけでもあんまり現実的でないと思います.

調査すれば,無駄というより,弊害の方が多いと解ると思います.
今回はハンプのこととまぜこぜに印象を残してもいけないので書きません.

世襲の人を尊重しない宣言

最近よく聞くのが,特にスポーツ関係者や音楽家が,「××さんをリスペクトしている」って言葉ですね.で, “respect” は,「尊敬(する)」って習いましたから,「××さんを尊敬している」じゃいけないのかと反発していましたが,いろいろ調べるとどうやら,respectはどちらかと言えば「尊重(する)」のほうが的確らしいです.じゃ,「××さんを尊重する」って言えばいいじゃないかと反発している今日この頃です.

現在われわれプロレタリアート・プレカリアートの宿敵である金持ち・大企業のための政党内で内ゲバ(外見は選挙のように取り繕っているようですが,「内閣総理大臣という政治を志したものの最終目的に到達するための,しかも公職選挙法が及ばない私的な選挙ですから,見えないところでありとあらゆる手段がとられていて,破格の現金や怪文書が飛び交い,密約・陰謀・裏切りまみれということは想像に難くない」って誰か言ってました)が起こっているようですが,その半分の候補が2世どころか3〜4世だというから呆れてものが言えません.

また,世界的大企業の世襲社長が,最近昆虫すごいぜで支持を広げた俳優とCMで共演するなどして浅薄なちまたの支持を上げていると言われています.

「そもそもテレビCMに頻繁に出てくる経営トップなどろくなもんじゃない」

とある知り合い

もし,彼がライバルの日産に就職していたらどうなったでしょう.ライバル社の御曹司(4世)が修行のために当社を選んでくれたということで,たぶんちやほやされて,係長,課長,部長待遇クラスまではトントン拍子に出世したでしょうが,その先はたぶん,「まだいるの」的な扱いで,部長待遇のまま飼い殺される(あるいは関連企業へ出向)でしょうけど,居続けることはまず有り得ないですね.そのまま日産の社長まで上り詰めることも100%ないでしょう(というか,内部昇格で大企業のトップになるという美しき伝統がほとんどなくなってきてます).

まあ,世襲で権力や地位を得た人々は,持たないものとしては羨望というか妬みというより,産まれながらの平等や公平性を著しく損なっていることにより,恨み・憎しみの対象以外の何物でもないです.

伝統的な芸術分野では,一子相伝で高度な芸術が長い間伝承されさらに高められているとされている例がいくつかあります.芸術的な部分はなんとも解りませんが,男系で何代も何十代も続いているって嘘でしょう.

今でこそ生殖医療の発達で産んだ母が100%産まれた子の母と言い切れなくなってきてますが,つい数十年前まで,母が産んだ子は,100%その母の子(遺伝的な意味において.以下も同様)ですが,父が本当の父かは保証の限りではありません.

まして,絶対に男の子を産まなければならないという今日的に明らかに人権侵害と言えるプレッシャーのもと,1人の妻が男子を産みつないでいける確率ってものすごく低いでしょう.親類から男子をもらって養子にする例を公にしている場合もありますが,その親類の男子が本当に遺伝的に繋がっているか証明できませんから,いっそ血縁でない才能のあるものを養子にした方が潔いでしょう.

そんなこんなで,才能が必要な分野において,一子相伝とか男系(に限らず血縁的な子)による継承というのは,非人間的な要素がおおいにつきまとい,遺伝的つながりについては今となっては科学的に検証できないものです.

ということで,政治・経済分野と芸術分野とでは理由が少し異なりますが,世襲はいかんです.

ここに高らかに,「世襲の人間を尊重しない」ことを宣言します.