差別に無自覚であることの責任
まだ南アフリカでアパルトヘイトが行われていた頃のドキュメンタリー番組を思い出しました.白人と黒人の女子高校生の日常を描いたものです.
白人の女子高生は日本人から見てもうらやましい環境にある豪邸に住み屈託なく暮らしている.一方黒人の女子高生は治安や衛生に問題がある地域の貧しい家に住んでいる.健気に生きているけれど暮らしには貧乏の影が落ちている.
白人の女の子はあからさまに黒人を差別するとか,まだ高校生ですから搾取構造の中で生きているということはないのですが,そういう社会構造で差別・搾取する側にいて罪はないのだろうかと思いました.
ChatCPTに聞いてみたら「差別に無自覚であることの責任がある」というのでなるほどと思いました.
なぜこんな昔のドキュメンタリー番組を思い出したかというと,最近SNSで「自分は若い頃から毛量カーストの底辺にいる」との書き込みを見たからです.
筆者自身は幸いなことに若い頃から高齢者になるまで毛量で悩んだことはありません.そういう立場からすると,薄毛の人はもちろん多かれ少なかれ悩みを抱いていることは解りますが,カーストの底辺いるような重圧をいつも感じて生きていたことまでは想像さえできませんでした.
そう,そのカースト構造の存在を自覚なく生きてきた責任を感じているところです.