Wacom Intuos PT SはKernel 3.14.0でサポート

WacomのTabletのエントリーレベルの現行モデルは、Intuosという、昔の中級モデルの名前になってしまいましたね

Linuxマシンにつなぐと、”Wacom Intuos PT S”とかのIDをKernelに送ってきます。

で、それをLinux + X.orgで使う場合そのままでは使えません(Kernel 3.13.x現在).パッチを当てれば良いのでしょうけど、あとあとのメンテを考えるとそんなに良い方法ではありません。

では、どうするか。サポートされるまで待つ^^;

本日、3.14.0-RC8を試したところ、あっさり認識されました。

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海外市場での名前だったかも.

でんち

昔から関心のある言葉の1つです.

高齢者に,懐中電灯のことを「でんち」と呼ぶ人がけっこういることは前から気が付いていました.最近ではときどきネット検索などもしていますが,どうも,地域的な偏りがあるわけでもなさそうです.

今朝テレビに「耐水性紙やすり」が,出てきて,これを業界人は「水ペーパー」って呼ぶなってふと思い出しました.いくらなんでもって感じの略し方ですが,こういう略称が意味不明になる略し方はけっこうあります.比較的新しいものでは,「食洗機」が典型例じゃないでしょうか.「食」っていったら,まあ普通は食品か食事を想定しますが,それを洗っちゃう機械です.

「食の安全」って聞いて,食器の安全性を頭に浮かべる人はいないでしょう.

海外で,きれいな日本語だけを習った人がもしいたとして,この言葉をはじめて見たら,本当に何のことか想像が付かないでしょうね.

ハイヒールをヒールっていうのもそうですね^^;

そう思うと,「でんち」も,ひょっとすると,電池式照明とか,電池式ランタン/カンテラ等の略なのかも知れません.

さて,でんちに関して調べて知ったおもしろいことのひとつは,懐中電灯がでんちなら,電池は何と呼ぶかと言うことで,「でんちの炭」といった人がいるって事です.

また,ごく最近ですが,近所のおばさんが細長い懐中電灯を「棒でんち」といったとのことです.普通懐中電灯は細長いですから,それを敢えて「棒」というということは,案外,電池式提灯なんてのが語源なのかも知れませんね.

QSLカード印刷

絵柄の表面でなくデータ面です.せっかく連休後半の初日にJARLからカードが届いて,即日チェックを完了したので,さっさと印刷してさっさと島根に送ることにします.

発行するレコード(CSV形式)が収納されたファイルは”qsl.txt”で,レコード数(交信数)は,

wc --lines qsl.txt
512 qsl.txt

ということで,512あります.これをまず,コンテストとノーマルQSOのスプリッターにかけます.この振り分けには,2つのモードがあります.

  • ケチモード(-kオプション)  コンテストの交信が1つでも含まれていたら,コンテスター扱い
  • おおらかモード(デフォルト) 1つでもノーマルQSOが含まれていたら,非コンテスター扱い

今回は,プリントパックからできあがったカードを始めて発行するご祝儀相場なので,おおらかモードにします.

ご祝儀なら全部新しいカードでも良いのですが,在庫がはけないので悪しからず^^;

ということで,

qsl_contest.pl qsl.txt
Total: 512  Contest: 290 Ordinary: 222

となりました.このqsl_contest.plというスクリプトは,一つ一つのレコードがコンテストの交信かどうかを調べるのでは無く,今回発行するqsl.txtに含まれる全レコード内の当該局の交信が全部コンテストかどうか調べます.つまり,512レコードのうち,290レコードに該当する局との交信は,今回発行する分について全部コンテストなのです.

ちなみに,ケチモードにすると,

qsl_contest.pl -k qsl.txt
Total: 512  Contest: 369 Ordinary: 143

という結果になります.いかにコンテストがらみのカードが多いかがわかります.

以上は,お遊びで^^; qsl.txtを次のqslprint.plにかければいいだけなんですが,せっかくですから,ノーマルな交信のレコードと,コンテストのみのレコードのファイルをデータ面印刷用のPSに仕上げます.JARLビューロー推奨の並べ順にもしてくれます.

qslprint.pl qsl_o.txt | enscript -o qsl_o.ps
couldn't open AFM file for font "Monaco", using default
[ 141 pages * 1 copy ] left in qsl_o.ps

qslprint.pl qsl_c.txt | enscript -o qsl_c.ps
couldn't open AFM file for font "Monaco", using default
[ 166 pages * 1 copy ] left in qsl_c.ps

となります.qsl_o.txtがノーマルな交信で,222のレコードが,141枚のカードに印刷されるわけでまずまずといえます.一方,qsl_c.txtはコンテストのみの交信のカードで,290レコードが166枚と,半分近く減ります.

いよいよ最終段階で,できあがったPSを確認して印刷です.いくつかの方法がありますが,Adobe DistillerにかけてPDF化してから,確認印刷するのが一番仕上がりがきれいですので,そうしています.

これらの処理スクリプトについては,Wikiのこの辺に書いてあります

現在は非公開.

嫌いな奴のBLOG/サイトをわざわざ見に来なくていいよ

聖人君子じゃない限り,人間それなりに嫌いな人,多かれ少なかれいますよね.私も残念ながら,公私に多少います.

当然,私を嫌いな人もいるでしょう.私が嫌いな人の数より多いか少ないか解りませんが.

嫌いな人のBLOGをたまたま見つけたり,あるいは,ネットサーフィンしながらBLOGを見ていて,そのBLOGはもう見る気がしないと思ったら,普通はもう見に行きませんわね.何かよほどの事情がない限り.それが大人の対応ってやつだと思います.

私,ないしこのBLOGやサイトが気に入らない方は,わざわざ巡回してくれなくてけっこうです.いや,迷惑だから来ないでください.真意が測れず,不気味でかなわないです.

現代教養文庫 佐高信 タレント文化人100人斬り

佐高信_タレント文化人100人斬り

実に痛快.

1989年から1998年にかけて,噂の真相などに掲載された佐高のコラムの原稿を集め,1998年に刊行されたものです.題の通り当時有名だった政治家,作家,タレント,学者などを辛らつに批判しています.だいたいの傾向としては,

  • ファシスト・右翼的思想を持つ人
  • 拝金主義者(今でいう「市場原理主義者」)
  • 同族経営・世襲経営をする経営者
  • 情緒で世の中を捉える人
  • 昔と今とで,主張が大きく異なる人
  • 人(普通の社員,一般人など)を人と思わない人
  • 押しつけがましい人(独善的な人)・押しつけがましさを感じられない人
  • オタク・自立して生活のできない男(マザコン)

などがやり玉に上がっています.切られている人たちは当時も有名で,今も活躍している人(ないし高い評価が定着している故人)たちです.たとえば,ビートたけし,石原慎太郎,猪瀬直樹はいうに及ばず,司馬遼太郎や井上靖までも厳しく批判しています.

巻末の解説によれば,私的に長年付き合いのある人や,実際に犬猿の仲の人などいろいろなようです.

余談ですが,いい歳こいて,自分の寝具の準備・片付けなど全然できない人っているんだって,定年退職者を送る会に出て先輩の話を聞いてあきれましたが,この本で切られている著名人にもそういうレベルの人が何人もいます^^;

14年から24年経過した今でも,どの評論も陳腐化していません.その人たちの本質に迫っていると言えます.また,今では忘却の彼方にある^^; 「住専問題」という言葉がしばしばでてきます.金融政策の失敗でバブルに油を注ぎ,住専破綻の後処理に巨額の税金をつぎ込むことになりましたが,その責任を負うべき政官のだれもが罪を追求されていないし,贖罪していない.アメリカでは,似たような事例で政官の責任者が千人規模で有罪になっているとのことです.たぶん,西欧の先進国でも同様でしょう.

今回の原発事故の本質的な問題は,狭くてどこでも地震・津波の危険がある日本に原子力発電を導入・推進したことです.それこそ,某大手新聞社の論説委員の言い方を借りれば,「いつかこういう事故が起こるのは,小学生でも解ること」です.

原発導入の最初の意志決定は,本書でもしばしば「平成の妖怪」として挙げられる中曽根元首相が行った(通産大臣当時)ことは,先日のNHK特集で紹介されていました.このそもそもの意志決定と,その後の無軌道に原発を増やしていった,自民党政府,通産省(現経産省)の責任者たちは,断罪されるべきです(これは,私の意見^^; ).しかし,マスコミの世論誘導で,東電始め電力各社と事故当時の民主党政府だけの責任にすり替えられてしまいました.

佐高は誰をも厳しく批判するので,この本を読んでも,それでは理想の組織のトップや政治家はどうあるべきといいたいのかが見えにくいです.しかし,それは,引用している,服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」(中公新書)からの「戦(いくさ)に勝つのは兵の強さであり,戦に負けるのは将の弱さ」という言葉に象徴されていると思います.

しかし,今の日本で,そういう人間らしい心を持った人が組織のトップになれるとはとても思えないです.そういう風土を作ったのは,この本で斬られているようなトップの人たちでは無くて,むしろ一般の人々の責任なんでしょうね.敢えていえばマスコミかな.

印象に残ったことば

  • アメリカの「理不尽な要求や不遜な立ち居振る舞い」については「ノー」と言えと盛田(ソニー元会長)は声高に叫びながら(中略)夫人(=盛田の妻)のそれについては「黙っている」だけなのである
  • 山県有朋が亡くなった時,ジャーナリストだった石橋湛山は「死もまた社会奉仕」と痛言した.死んでくれてよかったということである.
  • 血筋によって成り上がった人間に対しては,『フィガロの結婚』の中の,「エライと言ったって、自分の力でそうなったわけではない.生まれる手間をかけただけじゃないか」という言葉を呈したい.
  • そもそも憲法は,権力を持つものを縛るクサリである.だから常に彼らに取っては憲法は邪魔になる.
  • 良いところも悪いところも含めてありのままを愛することが本当の愛.良いところばかり押し売りされては本当の愛国心は育たない(大意)

( )内は筆者の注