Eテレのために受信料を払っている

自公が政権に復帰してから,NHKが政府・与党からの圧力に負けたり忖度したりして,キャスターを降板させたり,報道内容を政府よりにし続けてきています.

そもそもなんでNHKを税金でなく受信料で運営する形にしたかというと,戦前にNHKが政府の宣伝機関となって国民を戦争に誘導したという反省からで,税金でなく視聴者から直接徴収した受信料で運営することにして,政府に財政的・人事的に支配されず,本当の意味での不偏不党な報道・放送ができるようにした訳ですよね.

そのそもそも論のそもそもが明確に崩れたのだから,受信料を払う意義は失われた訳です.

総合テレビには呆れていますが,私はEテレを見ています.Eテレは決して子供だましでなく,本当に費用対効果(視聴率)を考えないで作った大人の鑑賞にも堪える良質な番組が多数あります.それらを見るためだけに受信料を払うのはやぶさかでないと思っています.

なんか,そんな主張が一時期SNSで盛んに行われたようで,私も共感したのですが,意思表示をするのを忘れていました.

参考リンク

偉そうな人

いつの頃からか,ふと考えることのひとつに「偉そうな人」があります.今朝,ごみ出しに出たら,久しぶりにそういう人の一人に出会ったので,またいろいろ思いました.まだ,BLOGに書いてないので,書くことにします.

“偉い人と偉そうな人” でざっとネット検索すると,ものすごいヒット数があります.やはり,人々の関心事なんですね.ということで,一般論を書いてもしょうがないので,自分の経験を元にした自分の考えを書くことにしてみます.

偉い人,偉そうな人などの定義

Coming soon!

尾身茂会長

先日放送された「芸能ニュースマン」で,爆笑問題の太田光と政府の対策分科会の尾身茂会長の対談がありました.

高齢の偉い人って,思考が硬直化して話が通じない人が多いですが,尾身会長は口調も温和で,話の内容も柔軟で感心しました.

71歳だそうですが,専門家のトップとしていろんな意味でがんばって欲しいと思います.

某委員会前会長とか,某国前大統領とか,某国前首相とか😓

副作用の被害者が救われなければワクチン接種は広まらない

さすがに毎日のように,テレビからかみ砕いた説明が聞こえるので,ワクチンというものがどういうものなのか解ってきました.逆に,今まで全然解ってなかったのだということも解りました😥

個人的には,ワクチンの効果何十%というのが,ワクチンを接種した人100人がウイルスにさらされた場合そのうち何人が発症するか,というわかりやすい話ではなく,ワクチンを接種した人n人とワクチンの代わりに偽薬を接種した人n人がその後そのウイルスによって発症した比率であると知ったことが一番大きな収穫かもです😥

考えてみれば,被験者を無理やりウイルスに晒すわけに行きません(イギリスではこれからそういう実験をするらしいですが😥)から,こういう統計を取るしかないですが,例えば,80%の場合,ワクチンを接種したからといって8割が安心,という単純なことではないけど,だいたい8割は大丈夫なんだろうなと思うしかないです.

ワクチンの効果が仮に50%だとしても,国民の健康の維持に責任のある政府にとってはどしどし推奨すべきと考えるでしょう.なんたって1度か2度の注射で,以後の医療的な負担が半分になるわけですから.

こうしたワクチンにはたいてい副作用が付きものです.重篤な副作用に現れる割合は,もちろんワクチンの種類によりますが,何万人に一人とか何十万人に一人といわれます.

こうした副作用に見舞われた人を医療的,経済的に手厚くケアしたとしても,全体として政府の負担は,ワクチン接種をしないよりも少なくてすみます.

しかし,重篤な副作用にあたった人にしてみれば,0.1%でも,0.001%でもなく,100%です.しかも,「因果関係が科学的に証明されていない」として,補償の対象外とされることも少なくないようです.科学的に証明できないのは医療政策の責任でしょう.完全な弱者切り捨て政策です.

時系列的な因果関係があれば,科学的に明確に因果関係がないことを示せる以外は補償するくらいの対応にしてくれないと,安心できません.

エボラ出血熱,SARS,MERS,COVID-19ばかりでなく,今後も人類は感染症と戦っていくでしょうから,有効な対抗手段であるワクチンによる副作用の被害者を分断・切り捨てするような政策を続けていては,効果を十分に発揮できません.

実際には,有効な人数がともにn人にはならないので,比率を比率で割るんでしょうけど.
子宮頸がんワクチンなど.

身長コンプレックス

コンプレックスは,日本では「劣等感」と解されがちですが,高校時代に,いろんな本を読む友人から,「複合心理」と訳すのが正しいと教えてもらいました.今日では,「感情複合」というようで,劣等感も含まれます(出典: Wikipedia).

私の身長は,日本人成人男性の平均値とされる値よりほんの少しだけ高いです.ですから,不特定多数の人が集まるような状況で見回して男性を観察してみると,たいてい,自分より背が高いと思われる人と低いと思われる人が半々です.

しかし,小学校の頃は,1年から6年までいつも前から3番めでした.クラス替えもあったし,転校生も何人か入ってきましたが,不思議とクラスの男子約20人のうちの3番めをキープしていました.

中学に入ったら,少しずつ後ろになり,3年のときは4割位の位置(前から7, 8番目)になりました.高校では3年間そのくらいの順番だったと思います.

大学生から大人になってからは,身長順に並ぶことはほとんどないので,気が付きませんでしたが,いつの間にかちょうど真ん中になっていたようです.

今となっては,身長に関して複雑な思いなどないはずの標準的というか,ありふれた身長なんですが,小学校時代に身長が低いことでいろいろ不当な扱いを受け,それが心に刻まれたというか,傷となったのではないかと思います.

では,今日,どんな複合心理があるのかというと,具体的に書くのははばかられます😥 まあ,身長に関して気にしなくていい些細なことを気にしてしまう,といったところでしょうか.

ほとんど誤差のレベルです😓